工藤さんは「風景写真はやはり、ドキュメンタリーなんです」と言う。「その場所にカメラを持って立たなければ写せないですから」。
そして、至極当然だが、「そこでシャッターを切ろうと思わなければ、写真にはならない」と話す。
世の中にはさまざまなタイプの風景写真家がいるが、どこでシャッターを切ろうと思うかが「写真家の個性につながってくる」。
■「風景って、わからなかった」
「気になる場所は足元でもなんでもいいんですけれど、そこでシャッターを切ろうと思うか、思わないか。それがすごく大事なポイントだと思うんです」
そう、気づいたのは15年ほど前だった。
「じゃあ、それまで写してきた写真はどうだったんですか?」と、たずねると、「本質的な風景ではなかったんですよ。カタチなりの写真でしかなかった。何をどう撮っていけばいいのか、よくわからないまま、撮っていた。撮っても、撮っても、わからなかった」。
そんなわけで、「撮っていても、あまり面白くなかった」とも言う。
ところが、30後半のとき「ある日突然、(ああ、こういう感じで撮ればいいんだ)と、神が降りてきたんです。ははは」。
それは撮影中の出来事だったが、場所は覚えていないという。
「それまではすごく粋がっていたというか。(すごいものを撮ってやるぞ)と、思っていたのかもしれない。でも、そこで肩の荷が下りた、というか、引っかかったものがぱっととれた。それから変わっていった気がしますね」
■竹内作品と重なる雰囲気
実際のところ、どう変わったのか?
「すごく自然体になって、風景の姿を見て、素直にそれを受け入れて、カメラを向けられるようになった。被写体が見えるからフレーミングも迷わず、どんどん撮っていけるようになった。撮影していても楽しい」
自然風景はあるものを撮るしかない。いろいろとこねくりまわして、こだわりを持って撮ろうと思っても変えようがないし、変わらない。であれば、見るものをそのまま撮ればいいんだ、と思った。
そんな気持ちが「風景写真はドキュメンタリー」という言葉の底にあるのだろう。