横須賀は第二の故郷。「私が女性であることを横須賀基地が教えてくれた」
もともと「ひろしま」は、「頼まれ仕事で撮っただけ」だった。
「広島にはまったく縁がないと思っていた。一生、行かなくてもいいと思っていたんです。けれど、呼ばれて行って、よく考えたら、私、横須賀から始まっているわけですよ。戦後が」
6歳から19歳まで暮らした神奈川県・横須賀は「私の『第二の故郷』ですから」と言う。しかし、続けて出てきた言葉は懐郷の念とはほど遠いものだった。
「あの、いやーな感じというのはやっぱり、忘れない。だって、ほんとに、『どぶ板通りを歩いちゃいけない』って言われていたんですよ。『なんで』って聞いても、理由を教えてくれなかった。でも、だんだんわかってくる。要するに行ったら強姦されるわけですよ。私が女性であることを横須賀基地が教えてくれたわけ」
そして、95年に沖縄県で起こった米兵による少女暴行事件のことを語った。
「あのときは泣いたもん。要するに、戦後が終わっていない、ということなの。私が横須賀の街から受けた傷みたいなものは、いちおう『絶唱・横須賀ストーリー』(77年)を撮ったことで吐き出した。そう思っていたら、広島につながってきて、ほんとうにびっくりした。私は日本の戦後とともに育ってきて、そういうことも含めて、出合うべくして広島に出合った。やっぱり、これは運命だなと」
私はずっと石内さんの「ひろしま」に親近感を覚えてきた。被写体との距離感がとても近くて、温かみを感じる。それだけ生々しいのだ。なぜ、そう感じるのか、今回その理由がわかった気がした。
「撮影は全部、35ミリ判カメラ。手持ちですよ。自然光で、トレーシングペーパーの上で撮っています。ただ、それだけ。だから、お天気のいい日しか撮りません。私が行くと必ず、晴れるんですよ」
(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
【MEMO】石内都写真展「見える見えない、写真のゆくえ」
西宮市大谷記念美術館 4月3日~7月25日