「ひろしま #9 donor:Ogawa, R.」2007年(左)、「ひろしま #71」2007年(撮影:石内都)
「ひろしま #9 donor:Ogawa, R.」2007年(左)、「ひろしま #71」2007年(撮影:石内都)

「広島にはまだ行方不明の女の子がいっぱいいる。そういう女の子のためにきれいに撮ってあげる」

 「The Drowned」と同じころ撮影した新作に「ひろしま」がある。

 しかし最初、石内さんに「今回の『ひろしま』は新作が5点あります」と言われたとき、私にはその意味がよくわからなかった。

「ひろしま」は、広島平和記念資料館に収められた被爆者の衣服などを写した作品で、08年に同名の写真集(集英社)が刊行されている。

 私はその際に撮影した作品をこれまで各地で展示してきたと思い込んでいた。けれど、それはまったくの勘違いだった。「ひろしま」はいまも撮り続けている現在進行形の作品だったのだ。

 ただ、石内さん自身も「いちばん初めは1年間撮って、それで終わるつもりだった」と言う。

――私の頭の中ではずっと、そういう認識だったんです。

「ふつう、そう思いますよね。写真集を出して1年くらいたったころかな。『遺品が毎年、入ってくる』と聞いたとき、びっくりしちゃって。『えっ、毎年入る?』。これはもう、(私は呼ばれているんだ)と思った。だから毎年、撮りに行っているんです」

――遺品に呼ばれていると思ったんですか?

「それもあるけれど、広島にはまだ行方不明の女の子がいっぱいいるの。そういう女の子のためにきれいに撮ってあげるわけ。いつ、帰ってきてもいいようにね。広島に出合った私は、本当に人生変わった」

「INNOCENCE #14」2006年(左)、「INNOCENCE #77」2006年(撮影:石内都)
「INNOCENCE #14」2006年(左)、「INNOCENCE #77」2006年(撮影:石内都)

「私のポリシーは『過去は撮れない』。75年前は撮れない。だから、『物語』はいらない」

 これまで被爆地・広島は、写真集『ヒロシマ』(研光社、58年)を世に送り出した土門拳をはじめ、数多くの写真家が撮影してきた。

「私も高校生のときに土門拳の写真を見ていますね。もう、気持ち悪くて、すぐに閉じちゃって。ある種のトラウマみたいなことがあったんだ。でも、私も『ひろしま』を撮っていて、やっぱり考えますよ。いったい、この現実をどう受け止めたらいいのか」

 連綿と続いてきた「広島写真」の歴史があり、そのなかで石内さんは「出てきたんだな」という意識がある。

 その一方で、「いわゆる写真的な、『写真の王道』みたいなものはやりたくない」と言う。

「記録したくない、訴えたくない、ドキュメンタリーしたくないと、ずーっと思ってきた。私のポリシーは『過去は撮れない』。75年前は撮れない。だから、『物語』はいらないんです」

 資料館に収められた遺品には「いっぱい物語というか、データがついているんですよ。でも、それは過去だから」。

「このものたちは静かに資料館の中でずっと眠っている。それを、『すみません』と言って、ちょっと起こして、日のもとに出して撮る。私と同じ時間と空気に触れて撮っている。それはまさに、いまなんです。過去じゃない。そういうふうに私は『ひろしま』を撮ってきた」

「そして、女が撮る。私が着ていたとしてもおかしくないリアリティー。男にはないよね。絶対にね。もし、私が45年に広島にいたら、私が着ていた洋服だったかもしれない。そういうリアリティーがすごかったんです。ほかの人が同じものを撮ったとしても、私の場合、資料じゃないから」

 言われてみればそのとおりで、これまで「広島写真」を写してきた写真家のほとんど男である。

 男というのは「記録とか、訴える、伝えるとか、『写真の王道』みたいなものが好き。そういう流れのなかで広島を撮ってきたところもあったと思う。でも、私はそうじゃない。やっぱり、肌身にいちばん近いものだけを撮ろうと思った」(最近は瓶や鞄なども写している)。

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横須賀基地が教えてくれたもの