途中で面白いものをいっぱい見つけて、結局、山頂に行けなかった
志賀高原は変化に富んだ火山地形に湖沼が点在する人気の撮影地として知られるが、それを作品にするのはなかなか難しい。力量がないと平凡な風景写真で終わってしまいがちだ。「特に大きい風景は自分の視点を意識しないと撮らされてしまいますね」。
3年間の写真修行で「すごく身になったと思うのは『写真を見る目』」だと言う。
それを聞いて、(なるほど)と思った。萩原さんの作品は「誰でも見たことのある風景」なのだが、はたしてそれに気づけるか、というと、たぶん、ほとんどの人は気づかないと思う。
やはり、小さな被写体に引かれるそうで、「登山をしたとき、途中で面白いものをいっぱい見つけて、結局、山頂に行けなかったこともありました」。
冒頭の名刺に写ったムラサキヤシオツツジのつぼみもそんな被写体の一つで、志賀高原では4月から5月にかけて開花するという。
「咲いた姿もきれいなんですけれど、つぼみが大好きですね。夢や希望にあふれるというか。開こうとするエネルギーをぎゅっと蓄えて、艶っぽさが凝縮されているというか。ムラサキヤシオツツジは、なぜかつぼみが二つとか、三つセットなんです。手を合わせるような感じで、とてもかわいらしい」
秋になると黄金色に輝くカラマツの新芽をクローズアップで写した作品もある。目を凝らすと、細い枝の上に並ぶ新芽が多肉植物のようにも見えて、面白い。
「もう、そこらじゅうに赤ちゃんがいっぱいいる、みたいな感じで。ふふふ。もう、かわいくて仕方ないですね。だから、新芽の時期はほんとうに新芽ばかりを撮っています」
「美しさのピークの前後の風景がすごく好きなんです」
水芭蕉の葉を写した作品は最初、それが何か、よくわからなかった。いつも見るのは白い花ばかりで、葉をきちんと見た覚えがないのだ。
「水芭蕉の葉っぱって、花が咲く時期はすごくかわいいんですよ。くるくるっとなって。だいたい雫がついていて、それが一定の間隔であったりするんです。それも楽しくて」
湿原でよく見られるワタスゲも撮っているのだが、よく目にする姿とはかなり違う。というか、それがワタスゲのがくとは、説明されるまでまったく気づかなかった。
「お星さまみたいでね。ワタが落ちた後がすごくかわいいんです」
そんな作品を写し続けてきた背景には、自然のなかで命が生まれてから死ぬまでのストーリーを見つめていきたいという気持ちがある。
「風景写真って、やはり、満開の桜とか、錦秋とか、美しさのピークをねらうことが多いんですけれど、それだけじゃなくて、その前後の風景がすごく好きなんです。芽生える初々しい姿とか、朽ちていく美しさとか、そういったものもつぶさに見つめていきたいなと、いつも思っています」
――どちらかというと、地味な被写体ではありますね。
「そうなんです(笑)。だから、私が撮りたいものって、なかなか伝わりにくいところがありまして。そこはちょっと難しいところですね」
その言葉をよく表していると感じたのが、地面に円を描くように集まった落ち葉の作品。葉の上に薄く舞い降りた雪がザラザラとした質感で、高感度のモノクロフィルムで写したような印象がある。
「これは宝物だなと。駐車場の足元で見つけたんです。12月、冬が来たばかりの小さな風景」