場面が変わり、ワゴン車の車内。おばあさんたちを乗せてどこかへ行くらしい。
「町営バスが出ているんですよ。沿岸の種市から、内陸の大野をつないでいるんです。歩いたことがあります。冬、20キロくらい。死ぬかと思いました」
一人で道をとぼとぼ歩いていると、「おまえ、どっからきた?」「また来たか」と、声をかけられることがけっこうあるそうで、「『じゃあ泊まっていけよ』と。そのままずるずると家に入り込んで」。
乗せてもらった車から写した風景や家の中。そんな写真を見ていると、人気のない街に小さな明かりがともったような気分になる。
「このときも『どうした、乗ってくか』と、お宅にまで。種市の二つ先の駅の近くに住んでいるおじさんの家なんです。もともとは郵便配達員か何かで、駅前に小さな雑貨屋をつくったそうです。でも、台風で一部が崩落しちゃたりで、『もう、ぜんぜん仕事はしていないんだよ』って、言っていました」
写真を始めて初めて見た「食べ物を作ったり、捕ったりしている人」
地元の人の車に乗せてもらい、会話しているうちに通りかかったもう使われなくなった小さな港、偶然、出合ったおじさんの知り合い。それらをカメラに収めた。
「それがとても楽しかった。そこの住民になったかのような感じがした。この人たちはふだん、こんな風景を見ているんだなあ、と。それに対する関心が強いんですね」
そう話すと、「自撮りみたいな写真は嫌だな、と思って」と、つぶやくように言い、笑った。しかし、私にはその言葉の意味がよくわからない。「自撮り、ですか?」。柳本さんはこう続けた。
「最近、『私はこうなんです』という、コンセプチュアルな写真がすごく多いじゃないですか。そんな自撮りみたいな写真は好きじゃないんです。自分が思っていることは、作品にしたいとは思わない、というか。車窓を流れる風景を見ているみたいに、この人たちが見ている風景を持って帰りたいと思うんです」
ようやく、なぜ柳本さんの作品には漁師が海で活躍するような華々しいシーンがまったく登場しないのか、理解できたような気がした。
柳本さんが生まれ育ったのは東京近郊のニュータウン。住民は都心に勤めるサラリーマン家庭ばかりで、「食べ物を作ったり、捕ったりしている人は、大学に入学して写真を始めてから初めて見たんです」。
「そこで気づいた。ああ、こういう生活があるんだ、と。例えば、炭鉱で石炭を掘っている人とか(柳本さんの父親の実家のある芦別市はかつて炭鉱の町だった)。いろいろな職業を見たいなあ、と。最初はそういう興味から撮り始めたんです」
さまざまな職業。どんな職業でもそうだが、そこには独自の社会があり、そこに生きる人々のものの見方がある。
「それを見たいな、という気持ちが底にある。なんか、オカルトチックですけど、相手にひゅーっと憑依して写した写真というか。そんなのが撮れたらいいなあ、と思っています」