■「ラーメンは嫌いだった」店主に訪れた転機
「塩生姜らー麺専門店MANNISH(マニッシュ)」では、淡麗の塩スープに熊本産の生姜をたっぷり合わせた、さっぱりと上品な一杯を提供している。2016年、神田でダイニングバーの昼営業としてオープン。いまや3店舗を展開する人気店だ。
店主の柴田和(やまと)さん(41)は東京・浅草の出身。両親は自宅に近い三筋町で町中華を営んでおり、幼少期は店の奥の小部屋で過ごすことが多かった。店が忙しく、外食することはほとんどなく、週2~3回は夕飯に店のラーメンを食べさせられていた。幼いながらラーメンは嫌いだったという。
そんな柴田さんのラーメン観が変わったのは、17歳の頃。高校の先輩に連れて行ってもらった「らーめん 弁慶」で食べた背脂がたっぷり浮かぶ豚骨ラーメンに衝撃を受け、店でバイトを始めることになった。
当時の「弁慶」は社長が自ら厨房に立っていて、目の前でラーメンを作る姿を見ることができた。ひっきりなしにお客さんが入るなか、いかに早く作れるかが全て。負けず嫌いの柴田さんは必死で食らいつき、アルバイトからそのまま社員になり、1年半働いた。
その後、同じ背脂系の「涌井(わくい)」で1年半修行し、「塩そば専門店 桑ばら」へ移る。そこで出会った桑原さんのクリエイティブな姿に大きな刺激を受けた。柴田さんは言う。
「桑原さんは、自分が食べて美味しいと感じたものをコピーするのがとても上手い人。それを『裏そば』としてアレンジし、毎日新作を出しているんです。すごい職人だと感じました」
「桑ばら」で2年の修行の後、「節骨麺 たいぞう」「一兆堂」「麺処 くるり」「我武者羅」と渡り歩く。数々の名店での修業を経て、いよいよ独立だという時に、柴田さんは交通事故でトラックに跳ねられてしまう。33歳だった。
一命はとりとめたが、片足を失う可能性もあった大事故。足の切断には至らなかったものの、運動障害が残ってしまった。
厨房に立てなくなった柴田さんは退職し、フリーランスとしてラーメン店のPOPやメニュー表を作る仕事を始めた。知り合いの店の依頼を少しずつこなしていたが、とても食べていけるレベルではない。不安な時期を過ごした。
ある日、チャンスが訪れる。内神田でダイニングバーをやっている古くからの友人が、店が空いている昼間の時間帯にラーメン屋をやらないかと誘ってくれたのだ。まだ杖をついて歩く状態だったが、医師から「1日3~4時間は運動せよ」と言われていた時で、昼だけならとやってみることにした。こうして16年3月、「MANNISH」が生まれた。