完全に独立という形ではないが、奇しくも自分のラーメンで店をやることになった柴田さん。せっかくなら人がやっていないことをやろうと、「桑ばら」の塩ラーメンと「我武者羅」の生姜醤油ラーメンからヒントを得て味作りをした「塩生姜ラーメン」を生み出した。当時、塩生姜ラーメンの専門店は北海道に「信月」というお店があるぐらいで、都内にはなかった。
3年のブランクがあり、体も回復途中。椅子に座りながら営業していた。宣伝もしなかったため、当初は1日3~4杯しか売れなかったが、リハビリだと思って店に出続けた。先は見えないが、毎日こなしていくしかないという感覚だったという。
そのうち、「塩生姜ラーメン」「バーの間借り」が珍しいと、雑誌などでも紹介されるようになり、少しずつ口コミも増えた。お客さんが増えるとともに、「またラーメンで食べていけるかもしれない」と自信がついた。
こうして18年、店を神田司町に移転。社員も採用して、本腰を入れて営業を始める。今では店舗展開も行い、人気店に成長した。
「桑ばら」の桑原さんは柴田さんの才能に一目置いている。
「『桑ばら』の立ち上げから3~4年経った頃に働いてくれたんですが、彼は優秀でとても頭が良い。色々な知識を仕入れては、私にも教えてくれました。『MANNISH』は『桑ばら』とは別のアプローチをしたラーメンですが、とても美味しい。発想力がさすがだと思います」(桑原さん)
柴田さんにとっても、「桑ばら」での修業時代が一番思い出に残っているという。
「桑原さんは、商売は“人間対人間”で成り立つものだということを教えてくれました。『自分がされて嬉しいことはやれ。逆に自分がされて嫌なことはやるな』というシンプルで当たり前だけど、意外とできていないことを学びました。経営手法やお客さんへの接し方、味作りに至るまでたくさんのことを教えていただきました」(柴田さん)
大けがに打ち勝ち、ラーメンを諦めなかった柴田さん。桑原さんが教えてくれたラーメン店の魅力が心に深く刻まれていたのだろう。(ラーメンライター・井手隊長)
○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho
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