■見切り発車でオープンして14年 自家製麺にこだわるつけ麺の魅力
横浜市保土ヶ谷区にある「めん処 樹(たつのき)」。2006年のオープン以来、14年にわたって横浜を牽引する人気店で、店舗の2階にある製麺所の壁には「一麺入魂」の文字が力強く書かれている。その言葉の通り、自慢の自家製麺のファンは数多い。横浜エリアに麺の旨さを伝え続ける名店だ。
店主の大川剛さん(47)は静岡で生まれ、6歳で横浜市の杉田へ移る。大川さんの祖父は毎朝4時から朝食としてチキンラーメンを作る無類のチキンラーメン好き。さらに、杉田には当時、横浜家系ラーメンの総本山「吉村家」(現在は横浜市西区南幸)があり、毎週父に連れられ家系ラーメンを食べるというまさにラーメンに囲まれた日々を過ごしていた。
ラーメンといえば中華料理屋の1メニューにすぎないと考えていた大川さんにとって、横浜家系ラーメンとの出会いは衝撃だった。その後、高校時代に保土ヶ谷へ引っ越してからも好んでラーメンを食べていた。
大学卒業後は自動車を輸出する職に就き、6年ほど働いた。だが、このままサラリーマン生活を続けるべきか。悩んでいたある日、ふと頭に描いたのがラーメン屋だった。店主が情熱をもって自分の一杯に向き合っている姿は幼い頃からの憧れだったという。
こうして28歳の時に退職し、相模原市の愛川にある「ラーメン麺工房 隠國(こもりく)」で修行を始める。麺から具材まですべて手作りを貫く店。朝9時から働き、夜中の3時に寝るという厳しい修行時代を送った。
「社長は背中で覚えろというタイプの方で、細かくラーメン作りを教えてもらえたわけではありません。とにかく目で見て自分でやってみての繰り返し。大変でしたが、充実の毎日でした。アドレナリンが出ていましたね(笑)」(大川さん)
ラーメン作りを少しずつ覚えていく中で、「隠國」のラーメンの先に自分のラーメンが見えてきたという。厳しい環境にたくさんの仲間が辞めていく中、大川さんは3年間の修行を続けた。
06年2月に「隠國」を退職。いよいよ独立に向けて動き始めたある日、母親が働いていたイオン天王町店の近くに一つの空き物件を見つけた。2階建てで、1階を店舗、2階を製麺所にするのにちょうど良さそうな広さだった。問い合わせてみると、とんとん拍子で話が運び、契約が決まってしまったという。
太い根を張る樹木のような強い店になれればという思いから、店名には「樹」の言葉を使うことにした。だが、肝心のラーメンが完成していない。急いで味作りをしたが、試食会をしても「美味しくない」と言われる始末。同年5月、「めん処 樹」は見切り発車のままオープンした。