■清新な演奏を披露しつつ、軽妙なトークも工夫する
金子はいくつかコンサートに出演して、バルトーク国際ピアノコンクールでは優勝し、音楽雑誌の表紙も飾ったが、パンチのある露出はできずにいた。そんなある日、河野と金子は著名なフルーティストの来日コンサートへ行き、終演後のサイン会に並んでいるとヤマハの社員に声をかけられた。彼の紹介で知り合ったのが音楽プロデューサーの坂田康太郎(51)である。
坂田はコンサートなどを企画しながら、シャネルの仕事で「シャネル・ピグマリオン・デイズ」という若手音楽家の育成プログラムを運営してきた。年間5人の若手音楽家を選び、彼らに東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールでの発表の場を与えながらさまざまな教育を施していく試みである。坂田は選ばれた若手音楽家に、将来どのような音楽家になりたいか、どのような人生を歩んでいきたいか、そのためにはどういうレパートリーを持つべきか、全部自分で考えさせ、書かせることにしている。小さな頃から親の全面的なバックアップを得てレッスンにコンクールにと忙しかった彼らは、実は将来像を自ら描けていないことが少なくない。
「彼らとじっくり関係性を築きながら、世の中に出ていくためのやり方を考えさせるのです。税金などお金の問題や聴衆・メディアとのコミュニケーションの取り方も大事ですね。1年間じっくりトライアンドエラーの場を与え、その後もパトロンを見つけたり、所属事務所を紹介したりしていきます。これまで約100人の音楽家を取り上げました。金子さんと会ったのは19歳くらいだったかな。彼はとてものみ込みが早く、自分なりにそれを解釈できる。アクションも起こせる。まあ、100人の中の頂点ですよ(笑)」
そんな金子も、「シャネル・ピグマリオン・デイズ」に登場した20歳の頃は悩んでいた。坂田は「僕はピアニストとして生きていけるんでしょうか」と考え込む彼と、3日に1回は酒を酌み交わしていたという。
私が金子のピアノを初めて聴いたのは12年、当時千駄ケ谷にあった津田ホールで開かれたワンコイン(500円)コンサートである。彼は自らマイクを持ち、曲の紹介など軽妙なトークで聴衆を引きつけつつ、清新な演奏を披露した。実は大の「お笑い」のファン。ライブにも行くし、移動の飛行機では落語を聴くことが多い。音楽家は良い演奏をすることが第一義だが、コンサートに足を運んでもらうための工夫も大事である。そんな努力が実って少しずつ固定ファンが増えていった。
「11年に、夢だったデビューコンサートを東京オペラシティコンサートホール『タケミツメモリアル』で開催させていただいた時も、ちゃんとトークを入れました」
よく通る声と反射神経の良さ、トークの力を買われ、今では毎週日曜日にNHK・FMで、「リサイタル・パッシオ」という若手音楽家を紹介するレギュラー番組を持つ。地方の公開録音では開演前に長い列ができる。今もコンサートでトークは欠かさず、終わればサイン会で丁寧にファンと接する。昨年11月に長野市で開かれたコンサートでは、事前に台風19号で被災した地域に足を運び、トークでそのことに触れた。彼の見舞いの言葉にうなずく人も多かった。