戦後日本の復興の大動脈として活躍してきた鉄道。モータリゼーションの波で、次々と姿を消している。AERA 2020年6月29日号では、懐かしい列車の数々を鉄道ファンや鉄道ジャーナリストらが語った。
【廃線先生が挙げる「もう一度見たい鉄道」 貴重な写真の続きはこちら!(計7枚)】
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かつて、中国山地の山間を縫うように、江の川の流れに寄り添いながら走る鉄道があった。島根県江津市と広島県三次市を結んだ「三江線(さんこうせん)」だ。2年前の2018年3月31日を最後に、運転を終了した。
「懐かしいなあ~」
埼玉県に住む会社員の男性(35)は目を細める。「乗り鉄」でもある男性は、三江線廃線のニュースを聞き、いてもたってもいられなくなり廃線となる半年ほど前の秋、会社を休んで1泊2日で乗りに行った。あいにく雨模様だったが、車窓から山々の美しい紅葉を楽しんだ。
「赤字とか経済効率という理由でどんどん鉄道が消えていく。寂しいですね」(男性)
戦後約400路線廃止
戦後日本の復興の大動脈として活躍してきた鉄道。私たちの生活を支えてきたが、モータリゼーションの波や人口減少で、次々と姿を消している。戦後75年、北海道から九州まで、400近い路線が廃止となった。
鉄道ジャーナリストで「廃線先生」としても知られる松本典久さん(65)は、廃線は鉄道が開通した明治時代からあったという。
「つくっても役に立たなければ廃止してしまうということ。戦後の廃線のピークは、国鉄再建に向けた特定地方交通線の廃止が、距離の上ではいちばん長いと思います」
特定地方交通線は、1980年に赤字解消などを目的に成立した「国鉄再建法」が規定する地方交通線のうち、バス転換が適当とされた1日1キロ当たり輸送人員(輸送密度)が4千人未満の国鉄路線のこと。「赤字ローカル線」とも呼ばれ、87年4月のJR発足前後には廃線のラッシュが起きた。
バブルがはじけると、ローカル線はさらに厳しさを増した。とりわけJR北海道の惨状は際立ち、16年11月にJR北は営業路線の約半分にあたる10路線13線区を「単独では維持困難」と表明。19年4月に石勝線夕張支線が廃線となり、コロナ禍中の今年4月には、札沼線(さっしょうせん)の北海道医療大学(当別町)~新十津川(しんとつかわ・新十津川町)間の47.6キロがラストランとなり、多くのファンが別れを惜しんだ。