そんな中、先の松本さんが「もう一度見たい鉄道」のトップに挙げたのが、冒頭の三江線だ。松本さんは振り返る。
「車窓に続く江の川は印象的でした。川沿いを走る鉄道は全国各地にありますが、三江線ほど一つの川を律儀にたどる路線は珍しく、渓相の変化をたっぷりと味わえました」
三江線は「政治に振り回された鉄道」だったと松本さん。
全線開通は1975年だが当初から需要は少なく、国鉄再建法による仕分けで廃止対象に考えられたが、代替道路が未整備ということで辛くも存続。87年、国鉄の分割民営化で国鉄からJR西日本に引き継がれたが利用状況に改善はなかった。21世紀に入ると輸送密度はさらに落ち込み、区間によっては1日4往復。実験としてバスも活用して2倍近い増便を実施、利用増を模索したが芳しい結果は得られなかったという。
「さらにこの時期、数次にわたる致命的な天災も受けて、そこで鉄路を残すべく動いた鉄道マンの心意気に頭が下がります」(松本さん)
今回、紹介するのは松本さんに挙げてもらった「もう一度見たい鉄道」だ。共通するのは「心に残る情景が今も深く残っている」点。
最も勾配のきつい区間
信越本線の横川~軽井沢間(碓氷線・うすいせん)も、多くの鉄道ファンの心に刻まれた路線の一つだろう。
信越本線は1893(明治26)年に開通したが、江戸時代の旧中山道の頃から「難所」といわれた碓氷峠が横たわった。それが、群馬県の横川と長野県の軽井沢を結ぶ「碓氷線」だった。距離は11.2キロながら553メートルの標高差があり、当時の国鉄で最も勾配のきつい区間だったので、線路の中央に敷かれた歯形のレールと車両の床下に設置された歯車をかみ合わせた「アプト式」と呼ばれる線路システムがとられた。
当時としては最新技術だったが、速度が遅く、時代とともに輸送力不足となった。そのため1963年、急勾配を上るために専用の電気機関車EF63が開発された。通称「ロクサン」。勇敢に列車を押し上げる姿から「峠のシェルパ」とも呼ばれ、その雄姿を覚えている人も少なくないだろう。