【広尾線】1987年2月2日廃止。北海道の帯広駅を起点として南下、広尾駅まで結んでいた。「幸福駅」はテレビで紹介されると一気にブームに。今も大勢の観光客が訪れる/2017年7月撮影(写真・朝日新聞社)
【広尾線】1987年2月2日廃止。北海道の帯広駅を起点として南下、広尾駅まで結んでいた。「幸福駅」はテレビで紹介されると一気にブームに。今も大勢の観光客が訪れる/2017年7月撮影(写真・朝日新聞社)

 200形について松本さんは、

「腰が低く、ほかの電車に比べて地を這うように走っていた姿が印象的でした。改めて当時の写真を見ると、国道246号の広かったことにも驚かされます。高速道路がなく、空が広かったせいでしょうか」

「交通弱者」の大切な足

 その玉電も車社会が到来すると邪魔者扱いされ「ジャマ電」などと呼ばれるように。地下鉄の新玉川線(現・田園都市線)の建設が決まると本線は69年に廃止され、下高井戸への支線だけが「世田谷線」と名前を変えて残った。

 令和の今、存続問題が持ち上がっている路線は少なくない。しかし、鉄道は高齢者や学生ら「交通弱者」の大切な足であり、鉄道が消えれば地域の明かりも消える。地域の実情に見合った、持続可能な公共交通機関の在り方を模索する必要がある。

(編集部・野村昌二)

※AERA 2020年6月29日号

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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