帰国後に始めたバレエも門脇の素地を作った。我慢強く、負けず嫌い。努力でできなかったことができるようになる快感を知るいっぽうで「生まれ持った素質が人よりマイナスだ」ということには薄々気づいていた。

「私、猿手で腕が外側に曲がっているんです。膝もまっすぐではない。きれいに見せるために人よりも余計な力を入れる必要があった」

 それでも小学生時代、バレエ漬けの日々は充実していた。先生から注意されるたび、それをノートに書き出し、方法を探った。同じことを注意されるのは非効率的。文章にすることで、どう改善すればいいかがわかりやすくなる。いまでも「効率重視」で「思考型」だと自分を分析する。

 だが中学に上がると、どんなに努力をしても、残酷なくらいに差は歴然としてくる。

 14歳のとき、バレエの道を諦めた。熱中するものを失い、混迷の青春時代が始まる。学校でもどこか満たされず、人と深い関係になることができない。恋愛もまったくしてこなかった。

 両親ともぶつかることが多くなった。特に母とは衝突が激しかった。門脇いわく母は「少女漫画に出てくるような人」。ロマンチストで夢見がちなところがあり、門脇とは正反対。幼少期から母に「こうしたほうがいいんじゃない」など辛辣なアドバイスをすることもあったという。ただ家の中が険悪だったかといえばそうではない。家族旅行にもよく行き、両親の愛情を感じなかったことは一度もない。だが、とにかく門脇は、何かを探し続けていた。そして見つけたのが俳優、だった。

「一番の理由はみんなに認められたかったから。バレエ仲間が海外に行ったり、コンクールで賞を獲ったり何者かになっていく。でも自分は挫折した。そんななかで早く『麦ちゃんもがんばってるね』と言われる仕事がしたかったです。映画の仕事なら名前も顔も出る。張り合える気がして」

 大学受験をやめ、自分に合っていそうな事務所をリサーチし、履歴書を送った。たどり着いたのが、現在のユマニテだ。代表の畠中鈴子(72)は元ジャーナリストという異色の経歴を持ち、樋口可南子や満島ひかりなどを育てた人物だ。

「書類が届いてすぐに『この子を呼んで』と言いました。小さな写真ではありましたが、魂、エッセンスのようなものを感じたんです」

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