■自分を追い込むのでなく、楽しみながらの役作りへ

 自信が持てず、演じることが楽しめなくなった。多忙と消耗で負のスパイラルがマックスになったとき、病に襲われた。急性喉頭蓋炎(こうとうがいえん)。のどの腫れが呼吸器を塞ぎ、呼吸がしづらくなる病気だ。

「苦しかったですね。死ぬかもしれないと思った」

 手術し、1週間入院しながら考えた。生きてるだけでありがたい。そしてなぜ、自分がこの仕事をしたかったのかに立ち返ることができたという。

 加えて転機となったのが16年のミュージカル「わたしは真悟」だ。フランス人演出家フィリップ・ドゥクフレの「楽しみながら生み出す」クリエーション方法に触れ、見方が変わった。

「いままで役柄的にも、自分を追い込んでネガティブな部分から作っていくものが多かったんです。それをポジティブにしてみたらどうだろう、と。自分に楽しむことを許してもいいかな、自分自身を追い詰めて出てくるものはもういいやって」

「わたしは真悟」で共演した成河(ソンハ)(38)は言う。

「フィリップ・ドゥクフレは『自分で考えて表現して』とすべて役者に投げてくる人。現場は大混乱だったけど、そのなかで麦はずっと冷静だった」

 じっと周りを観察し、対応をしていく様子が印象的だった。門脇のパフォーマンスで空気が動き、演出家がハッとするシーンも多かった。

「役者は自分をさらけ出す必要がある。でもただ出せばいいというものじゃない。麦は自分がどういうふうにきちっと恥をさらすと人が喜ぶかを本能的に知っている感じがある。それが役者としての思い切りのよさにつながっていると思う」

 野田秀樹の舞台「贋作(がんさく) 桜の森の満開の下」で共演した古田新太(54)は、門脇とよく飲みに行ったと話す。

「麦は可愛いんだけど、ちょっと異質なものがある。硬質さというか、相手を不安がらせるような。本人は全然そうじゃないんだけどね」

 この人は何を考えているんだろう? 本当は楽しんでいないんじゃないか? 冷めているような、どこか一歩引いているような、門脇のまとう空気感が芝居で相手の不安を誘発する。その「揺れ」が俳優としての資質でもあると古田は言う。

「『え? 味方だと思ってたのに、敵だったの?』みたいな多面性を表現できる。さらにそれがあからさまじゃないのが、麦の“品”じゃないかな。シュッと硬質なのにチャーミング。彼女の見た目や声のギャップにエロティシズムを感じる人は多いと思う。そんなふうに見えないのに、って」

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