「(雑誌の)『Chance!!』は、私にもチャンスなんだよね」と三宅が話すのを聞いた。

「成功するかわからないけれど、それでもやりたいという熱量が凄まじい。社会貢献をしようとか、利益を上げようということよりも、彼女にとっての会社は、自分を生きることそのものだと思う」(土岐山)

 損得よりも、生き方そのものが事業に横たわる。ストーリーが説得力になる起業家は強い。

 再犯防止に取り組む法務省矯正局成人矯正課長の中川忠昭(58)は「民間で、受刑者の求人情報サービスをここまでやっている人はいない」と三宅に一目置く。養子縁組までして身元引受人になったと聞きビックリした。

「覚悟があるし、見返りを求めていない。ストレート勝負の人はたくましい。それに過去の経験があるからこそ、受刑者にとって彼女の話は説得力があるのでしょう」

 もうひとつのエネルギーは、やさしくない社会への抵抗だ。社員時代、うつ病から復職してきた同僚のお世話係に任命された。ほかの社員に話すと「よく引き受けたな。絶対嫌だ」と言われた。うつで退社した人もいるのに。三宅はカンカンに怒りつつも、涙が止まらなかった。

「間違いを犯しても、そこから人の役に立つことをして最期に笑って死ねたら、喜劇になります」

 正義感でぎゅうぎゅう詰めの遺伝子に導かれ、この荒(すさ)んだ社会に寛容と再生の道をつくる。その意義を信じて進む三宅の笑顔は、本当に美しい。

(文中敬称略)

■みやけ・あきこ
1971年 新潟市出身。熱心な共産党員だった父母と11歳上の姉、父方の祖母の5人家族に育つ。姉によると、自分が指さした以外の食べ物を口に押し込まれると吐き出したという。「3歳の保育園の入園式で鳥籠を開けて小鳥を掴もうとしたり、母が活動の会議に連れていくと会場のトイレットペーパーを残らず廊下や階段まで引っ張り出した」(姉)
 77年 小学1年で担任に「何か悩みのある人は放課後残るように」と言われ、三宅だけが挙手。「自分の顔のほくろがどんどん大きくなって、先生のようなブスになったらどうしよう」と真顔で打ち明ける。
 83年 地元の市立中学校へ。やんちゃだが正義感あふれる少女に。いじめっ子の机を、ひとりで学校近くの信濃川まで運び投げ捨てた武勇伝も。
 89年 18歳で高校に入りなおす。自己紹介で「中退してきました!」と自らカミングアウト。男子と喧嘩して負けたのが悔しくて空手部へ。
 94年 2浪し23歳で大学入学とともに上京。28歳で卒業した後は貿易関係の会社を経て、カナダと中国に留学。
2004年 中国留学中に母が71歳で死去。大手情報通信系企業へ就職。2年後に結婚し都内で暮らす。
 08年 「迷ったときは、より大変なほうを選べば人生は間違いない」と教えてくれた父が78歳で急逝。
 14年 会社を退職。
 15年 株式会社ヒューマン・コメディ設立。出所者等を雇用する企業のための採用・教育支援と並行して、生きやすい考え方を学ぶための講座や啓蒙のための講演等を行う。前後して夫の両親と同居を始める。
 18年 3月、「Chance!!」創刊。19年9月刊行の秋号で7号目に突入。創刊からおよそ1年半で、45人が内定をとり就職した。

■島沢優子
著書に『世界を獲るノート』(カンゼン)、『部活があぶない』(講談社現代新書)など。本欄ではラグビー日本代表前HCエディー・ジョーンズ、脚本家・福田雄一らを執筆。

AERA 2019年10月28日号

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