薬物乱用経験者とその家族が集う、警察と民間が協同で開催した薬物依存症回復支援「NO DRUGS」を取材する三宅。警視庁組織犯罪対策部の銃器薬物対策第一係主査警部、蜂谷嘉治の話を聞く(撮影/大野洋介)
薬物乱用経験者とその家族が集う、警察と民間が協同で開催した薬物依存症回復支援「NO DRUGS」を取材する三宅。警視庁組織犯罪対策部の銃器薬物対策第一係主査警部、蜂谷嘉治の話を聞く(撮影/大野洋介)

 その後無事高校に入学するも、両親との仲が険悪になり家出。学校に行かなくなり5カ月で退学処分に。大滝の同僚である中学の体育教師が、自身の友人が経営するお好み焼き屋を紹介してくれ、そこで働いた。

 だが、すぐにヤンキー時代の幕を引く出来事が起きる。母が居眠り運転による追突事故で入院。久しぶりに会う母はベッドの上で泣いていた。

「すごく申し訳ないと思った。母親は事故に遭い、娘は退学で。そのとき、真っ黒な右肩下がりの人生のグラフが見えた気がした。これをいつかネタにしようと思った。15歳くらいでネタという言葉は知らなかったから、なんとなくそんなイメージかな。講演している姿とか」(三宅)

 何者かになる。漠然とそう決めた三宅は「この堕(お)ちた人生をネタにするためにとりあえずいい大学に入っておこう」と決める。父親からデカルトの『方法序説』を渡されたが、全く理解できず勉強の必要性を実感したこともエネルギーになった。

■育児放棄された少女を養子縁組して身元引き受け

 高校を入り直し、早稲田大学第二文学部へ。貿易事務やカナダ・中国留学を経て、大手情報通信系企業に33歳で入社した。10年勤めたが、ペーパーテストで判断する昇格試験に意味を見いだせず、人材育成に関心があったこともあり退社。面倒でたまらなかった白髪染めをやめ、ストレスフリーになった三宅は興味のある方向へと走り出す。銀色に輝く髪をなびかせて、自立援助ホームや受刑者を支援する施設を手伝いにまわった。

 そこで出所者がやり直しできない現実を知る。家族と縁を切られ身元引受人がいないため、仕事に就きにくい。住む場所も、金もなく、携帯電話も契約できない。わずかな所持金を使い果たすと、窃盗や無銭飲食を犯して刑務所に戻る。格差が開く一方では、再犯者が減るわけがない。

 国が何とかすればいいのに――最初は少し他人事だった。

 ところが、鹿児島・奄美大島の自立支援ホームで親しくなった17歳の少女との交流が、三宅を動かした。両親から育児放棄をされるなど、壮絶な過去を持っていた。腕にはリストカットの痕があった。人生の17年のうち15年を施設で暮らす彼女はその頃、福岡の少年院に入っていた。

「奄美に戻っても、また悪いことをするんじゃないかと思った。身元引き受けをしたくても、未成年のため養子縁組をしなくてはいけなかった」

 同じ大学の空手サークルで出会って結婚した夫に言い出せずにいると、「養子縁組すればいいじゃん」とさらりと言われた。夫の頭と心の柔らかさに助けられた。そこから、夫の両親と夫、三宅と少女という血縁でつながる者がすこぶる少ないが、温かく心の通った5人の生活が始まった。

 どうすればこの子は幸せになれる? 少女の将来を考えた三宅は、少年院や刑務所からの出所者を支援する事業を思いつく。そこで彼女が同じような境遇の人と仕事ができれば、過去を包み隠して生きる必要はないじゃないか、と。

「過去があるからこそ同じような境遇の人たちに親身になって対応することができる。彼女の過去が価値に変わると思った」

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