日比谷音楽祭の中で一つのハイライトになったのは、アコーディオン奏者のcobaとバイオリニストの金子飛鳥の演奏に石川さゆりが参加し「津軽海峡・冬景色」を歌い上げたセッションだった。歌い終えた石川は、こう告げた。

「亀田さんが夢見て作った音楽祭ってこういうことなんだなって。ジャンルも年齢も関係なく、ボーダーレスに音楽を楽しもうよっていうみんなが集まっていて、素敵だなと思います」

 当日の朝は5時半に起き、終演後もスポンサーや出演者への挨拶に奔走した亀田は、深夜12時を過ぎてホテルに戻り倒れ込むように眠った。布団の中で「いいことばかりだ!」と大声で寝言を言っていたと、翌朝妻に指摘されたという。

 ヒットメーカーとして時代を彩るよりも、100年先まで残る音楽文化の礎になりたい。そんな思いが、今の亀田を突き動かしている。そして、根っからのポジティビティと揺るがない情熱が、周囲の人を惹きつけている。

(文中敬称略)
     
■かめだ・せいじ
1964年 アメリカ、ニューヨークで生まれる。
  65年 日本に帰国。兵庫県高砂市、大阪府吹田市、東京都練馬区で育つ。
  77年 練馬区立開進第三中学校入学。翌年、初めてベースを購入。当時の憧れはオフコースだった。
  80年 私立武蔵高校入学。大学に進学せずミュージシャンになると親に告げ猛反対を受ける。「親戚中が大騒ぎになりました」
  83年 早稲田大学第一文学部入学。音楽サークルに入るも水が合わず、授業にも出なくなり1年留年する。プロを目指す地元の仲間とバンド活動に明け暮れる。
  88年 大学を卒業。自作デモテープがオーディションでたびたび受賞するようになり、レコード会社の新人開発部に声をかけられる。スタジオに出入りするうちに仕事を覚え作家事務所と契約。
  89年 アレンジャー・プロデューサー、ベーシストとして活動を始める。シンガー・ソングライター崎谷健次郎のバックバンドに抜擢され中野サンプラザのステージに立つ。
  90年 初めて編曲を手がけたCoCoのシングル表題曲「夏の友達」がオリコン3位を獲得。
  92年 歌手の下成佐登子と結婚。武部聡志が代表をつとめるハーフトーンミュージックに所属する。
  98年 プロデュースを手掛けた椎名林檎がデビュー。アルバム「無罪モラトリアム」がミリオンヒットを記録する。
2003年 椎名林檎らと東京事変を結成。初の武道館公演を実現させ、中学の卒業文集に書いた「10年後に武道館で会おう」という夢を25年越しで実現させる。
  07年 第49回日本レコード大賞の編曲賞を受賞。
  09年 初の主催イベント「亀の恩返し」を武道館で開催し、2日間で2万3千人を動員する。
  12年 東京事変、解散。最終公演の武道館の楽屋で声をかけられたことをきっかけにJ-WAVEでラジオ番組「BEHIND THE MELODY~FM KAMEDA」スタート。
  13年 NHK・Eテレで音楽教養番組「亀田音楽専門学校」放送開始。
  19年 実行委員長をつとめる日比谷音楽祭が開催。

■柴那典
1976年、神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。著書に『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』『ヒットの崩壊』、共著に『渋谷音楽図鑑』がある。

AERA 2019年10月14日号

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