■「南国土佐を後にして」
筆者が初めて高知市を訪れたのは51年前の1968年。四国巡りの旅で高松、松山の次に訪れたのが高知だった。この高知市を一躍有名にしたのが、ペギー葉山のヒット曲「南国土佐を後にして」と同名の日活映画(主演:小林旭・監督:斎藤武市)だ。「土佐の高知のはりまや橋で」のフレーズにロマンを掻き立てられ、はりまや橋を訪れる観光客が急増したそうだ。
別カットはそのはりまや橋を渡るシーンを選択した。ロケ当日のファーストショットで、フィルムは35mm判(ISO64)コダック・エクタクロームXを使用。半世紀経った今日でもトデンのツートンカラーと、はりまや橋の赤い欄干の色彩が鮮やかに再現されている。
次の作品も同番組の出演で訪れた後免線・舟戸ロケのワンシーンだ。ここには、江戸期の嘉永元年(1848年)に建てられた瀟洒な土蔵と家並みが残されており、トデンが開業80年記念に復刻したレトロ路面電車「維新号」にはうってつけの情景となった。
土蔵の家主(あるじ)松岡さんにお話を伺うと、昔はこの地に二軒の土蔵があったそうだ。また、1946年の南海大地震では家屋が前面に崩壊したことや、近隣の舟入川が氾濫した水害では、身の丈ほどの浸水にあったことなど、災害に耐えた土蔵にまつわるエピソードを知ることができた。
■黒潮香る思い出の安芸線
写真は安芸線を走る鏡川橋行きの市内線直通列車で、連結運転の600型が充当されていた。画面の背景には太平洋が見えている。高知市内~安芸に直通列車が設定されたのは1955年10月で、直通列車の運行は1974年に安芸線が廃止されるまで継続された。
安芸線は後免~安芸26800mを結ぶ鉄道線として運行されており、筆者の訪問時には貨物列車も走っていた。海沿いを走る長谷寄駅や穴内駅で下車すると、黒潮の香りと潮騒が聞こえるのどかな風情が展開していた。
開業から110年を経た2014年、土佐電気鉄道は高知県交通、土佐電ドリームサービスの3社で、新時代に即した経営統合が実施されることになった。各社の事業を継続した新会社「とさでん交通株式会社」が発足し、路面電車の運営も引き継がれた。
2019年現在、はりまや橋を核にした七系統『高知駅前~桟橋通五丁目/高知駅前~枡形/伊野~文殊通/朝倉(大学前)~文殊通/鏡川橋~後免町/鏡川橋~文殊通/鏡川橋~領石通』が運転されている。
在籍車両は「ハートラム」と愛称される3000型を筆頭にした59両で、外国型路面電車や7型復刻路面電車「維新号」などのイベント対応車も所有している。
伝統のトデンを継承したとさでん交通の路面電車は、明日に向かって令和の新時代を走り続けている。
■撮影:1968年5月2日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。