被写体でありながら取材者をジッと観察するマンウォッチャー。取材終盤、リハーサル中の横浜アリーナでカメラマンがついに会心の笑顔をとらえた(撮影/大野洋介)
被写体でありながら取材者をジッと観察するマンウォッチャー。取材終盤、リハーサル中の横浜アリーナでカメラマンがついに会心の笑顔をとらえた(撮影/大野洋介)

 心臓病の気がかりを抱えて出向したJリーグで、試合に打ち込む選手の姿に心を震わせる観客を見た。大河自身、奮い立たせられた試合もあった。何万人もの心を揺さぶる仕事に関わる幸福感を味わった。

 病気で抱えた悔しさや挫折感は、大河に弱い立場を察する目線を与えた。いつも心は平坦に見える。そう私が感想を伝えると、仏教系の小学校とカトリックの中高の12年間、宗教がそばにあったからではと、大河は自己分析した。信仰があるわけではないが、仏教もカトリックも「赦す」ということを教えてくれたと振り返った。

 だが若かった頃、幼い長男に厳しく接したことには今も後悔がある。そこには子育てに悩んだ等身大の父親の横顔があった。Jリーグに転職を決めたときには、高校生だった末っ子の娘は人生の試練にあった。バスケット界に移るとき背中を押したのは社会人1年目の次男だった。試合で元気がもらえると言う娘を、時折試合に同伴する。

「人間の心はいくつになっても成長するんだよね」

 3人の子どもの成長と、仕事に打ち込む父の充実感は、重なっているようだ。

 プロスポーツやスポーツビジネスが子どもたちの憧れの職業になることを願う。

「そのためには、選手の報酬やセカンドキャリアについての策が必要。Bリーグやクラブチームで働く人たちの待遇も魅力的にしていかないと」

 人生の放物線のピークはまだ訪れない。

 (文中敬称略)

■大河正明(おおかわ・まさあき)
1958年/京都市生まれ。父は繊維会社の経理、母は専業主婦。5歳下に妹。幼稚園の頃は親分タイプのガキ大将。幼稚園の先生に、公立小では力を持て余すからと勧められ、私立京都女子大附属小に進学。
71年/カトリックの私立洛星中学高校入学。校風はリベラル。バスケットボール部に入部。ポジションはスモールフォワード。
77年/京都大学法学部入学。アルバイトして買った中古の黄色いセリカで、大学の友人と日本中を旅した。
81年/三菱銀行入行。京都から東京へ移り住んだ。初任地日暮里支店で中小企業を担当。
85年/京橋支店で大手上場企業を担当。この頃、プラザ合意により急激な円高に。
90年/本店企画部に異動。予算グループ配属。銀行経営の中枢に近い部署で、経営の本質を学んだ時期。心臓冠動脈異型狭心症を発症。以後45歳まで病気とのつき合いが続いた。
95年/Jリーグに総務部長として出向。30人ほどの組織にメーカー、エネルギー会社などさまざまな組織から出向者が集まり、企業ごとのカラーがよく見える環境だった。
97年/銀行に戻る。巣鴨支店副支店長。
2000年/海老名支店長。銀行がリテール営業に注力する方針を打ち出す。個人客向けに遺言提案や住宅ローンマーケットを開発。のちにFP技能士1級の試験に合格。
02年/本店リテール営業部次長。
04年/同部副部長。
06年/地区担当部長。
07年/鎌倉支店に支店長として赴任。最も成績のよい「総代店」として表彰を受けた。
08年/リーマン・ショック。
09年/町田支店に支店長として赴任。「総代店」表彰。
10年/銀行を退職、Jリーグへ転職。 理事を経て14年常務理事。
15年/日本バスケットボール協会へ。専務理事・事務総長に。B.LEAGUEチェアマン就任。

■三宅玲子
1967年生まれ。本欄ではプロ経営者・松本晃、高岡浩三(ネスレ社長)、佐山展生(インテグラル社長・スカイマーク会長)に続き、経営者の執筆は4人目。

※AERA 2019年6月3日号

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