3月、スカイマークの機体をBリーグのロゴと「スラムダンク」作者・井上雄彦のイラストで飾るBリーグジェットの披露会見。スカイマーク会長・佐山展生は「昨年9月に初めて観戦して伸びると直感した」(撮影/大野洋介)
3月、スカイマークの機体をBリーグのロゴと「スラムダンク」作者・井上雄彦のイラストで飾るBリーグジェットの披露会見。スカイマーク会長・佐山展生は「昨年9月に初めて観戦して伸びると直感した」(撮影/大野洋介)

「悔しいんやなあ。我慢してるんやなあ。そう思いました。本人は決してそうは言いませんが」

 銀行員は50代に入ると人事部から紹介された関連会社に出向し、定年を迎える。だが大河は52歳で自ら行き先を決めた。Jリーグ事務局長だった佐々木一樹(67)が大河を誘った。

「Jリーグの経営基盤を整えたのは彼です。Jリーグはもう一度彼を必要としていました」

 2010年、開幕17年が過ぎたJリーグでは経営に問題のあるチームが半数近くあった。リーマン・ショックで日本経済が打撃を受けており、クラブチームの経営健全化は待ったなしだった。大河は、3期連続の赤字または、債務超過にならないことを資格要件に含むクラブライセンス制度を設計した。

 Jリーグマーケティング代表取締役社長の窪田慎二(49)は、この時期、大河の部下だった。

「大河さんとクラブチームに説明に回りましたが、なかなか理解されませんでした。でも、大河さんに説得されたクラブチームが渋々スポンサーや株主に説明すると、そんなの当たり前だろうと。企業論理からすれば、赤字の経営なんてあり得ない」

 クラブライセンス制度導入後、多くのクラブチームは経営状況が好転した。個々のクラブチームの経営内容が良くなると、Jリーグの価値は高まる。15年からは明治安田生命とJリーグの間にスポンサー契約(契約額は非公表)が実現した。

 川淵がFIBAからバスケットボール界の整理を依頼されたのは、クラブライセンス制度の導入が一段落する頃だ。川淵の指示で大河は組織づくりのスケッチを描いたが、FIBAから指定された半年後の期限までに間に合うとは到底思えないほど、状況は混乱していた。

 一方、川淵は心労で血圧が200を振り切るほどに上昇していた。誰かに後を任せたいものの、人選は難航。10人ほど後継候補と会ったが託せる人物に巡り合えない。

 ある日、大河が川淵の執務室に顔を見せた。

「お手伝いできることがありますかって、言うんだよ。それも学生の頃にバスケットボールやっていたって言うじゃない?
 経営実務は僕より優れてる。ああ、待ちびとが向こうから来てくれた、運がいいなあ、って思ったよね」

 現場となった執務室で、川淵が笑顔になった。

 大河は56歳、Jリーグ常務理事だった。だが、仕事人生でまだ力を出し尽くしていない、そんな思いがあったのか。荒野だったバスケットボール界に向かって静かな勝負に出た。

 自分からポジションを取りに行くよりは、声がかかるのを待つタイプ。現場で率先して働き、成果を正当に評価されたい。部下に担がれる上司を嫌悪し正攻法でやってきた。どちらかといえば控えめだ。大河の性格を川淵は十分承知している。
「力を発揮したいという思い、本人にあったろうと思うよ。それでなかったら、僕のところにこないだろう?」

●何万人もの人を感動に自身も奮い立たせられる

 アリーナを中心に街が活気づく。試合のない日こそアリーナ周辺の街が元気でなくてはならない。たとえば最寄り駅とアリーナを結ぶ自動運転のモビリティーを整備すれば、街の快適性は上がり人が集まる。テクノロジーとの融合は投資対象としても事業価値を高める。

 強さを追求するB1、地域に根づくB2。リーグごとに存在の意義は違っていていい。弱くても愛される、それこそが、目指す地域密着のプロスポーツのありようだ。何よりスポーツの社会的地位を向上させたいという思いがある。その原風景はJリーグにある――。

 そんな話を大河から聞いたのは、チャンピオンシップの前日だった。リハーサルが行われている横浜アリーナの控室である。

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