教卓の高座での独演会を日に何度もやり、下級生などの弟子がぞろぞろと12人も出来た。下駄履き風呂敷包み姿で登校し、6年生の頃には町内会から出演依頼が殺到する。しかし謝礼が菓子から現金にかわり、それにひかれていく自己嫌悪と、稽古不足のままやった得意ネタの「馬の田楽」の不出来に絶望し、筆を折るように落語を演じることをやめた。

「落語をやっていると歌舞伎のパロディーが多く出てくることから古典芸能の面白さに気がつきました。中学へ進んだら歌舞伎の勉強を、高校では文楽を、大学で能・狂言を勉強しようと将来のコースを決めたんです。概ねその通りになりましたね」。小学6年での決心である。

 中学で、生の歌舞伎を観たのは、劇場まで1時間かけて観に行った鑑賞教室の1回だけだった。「義経千本桜」三段目の「鮓屋(すしや)」を観た。「テンションとメソッドの結晶である型」に仰天し、「こんな面白い物語はどんな風に構築されていっているのか」と、興奮でその晩熱を出して寝込んだ。「中学で初めて観た歌舞伎で物語の構造に心奪われるなんて珍しい。補綴に向いているんです」と児玉が笑うような歌舞伎との出合いである。

●今ならどう読めるのか、古典腐らせないよう考える

 高校へ進むと計画通り文楽に耽る。竹本住大夫の義太夫、吉田玉男の人形に熱中。人生で2回目の歌舞伎も高校の時。平成中村座の大阪公演、串田和美演出の「夏祭浪花鑑」と「法界坊」を観た。「法界坊」のこの古典への飛躍力がどこから来るのか、「夏祭浪花鑑」はまるで現代劇ではないか、と考えると、その晩また熱を出し寝込んだ。

「春秋座という歌舞伎をやる劇場が大学の中にあるらしい」と聞き、三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)が、当時副学長を務めていた京都造形芸術大学へと進む。「あの場面はこう演じられてるけど、こういう解釈にしたら」などと周囲の友人にのべつ幕なしに歌舞伎の話ばかりする木ノ下に「そんなら自分で作ったら」と友人が言い、旗揚げした。東海道四谷怪談を扱った50席、500円の「yotsuyaーkaidan」は大学の学科長でもあった太田省吾に評価された。この時から演出家としてつきあいがあるのが、3年先輩の演出家、「勧進帳」を演出した杉原邦生だ。

「旗揚げから在籍していた11年間苦楽を共にしてきた戦友です。作品と観客をつなぐのが演出家で、演出家と脚本をつなぐのが、頭の中が古典の図書館みたいになっている補綴の木ノ下くんでした」

 故十八代目中村勘三郎らが25年前に始めた「コクーン歌舞伎」で、昨年上演された「切られの与三」に木ノ下が補綴として参加した。「切られ与三」は有名なお富・与三郎の物語だがもともとは講談。冗長な原作を「現代的な視点で切り取ってほしい」と木ノ下に声がかかった。演出の串田和美(76)は「江戸時代はアイデアを出し合い共同体で芝居を作っていた。彼はそれをわかっているから対等に議論して作り上げられた」。

 木ノ下歌舞伎への関心は、若手の歌舞伎役者にも広がっている。「勧進帳」を観て歌舞伎役者が「そういうことだったのか」と演目を見直すのだ。演出家の杉原は「(長野の)松本で(中村)七之助さんが2回も観てくれた。涙を拭くハンカチまで用意して(笑)。どうせスカしたものだろうと思って観に行ったけど、小手先ではなく歌舞伎をきちんと理解した上で作っているのがわかったと言ってくれましたね」。

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