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関西弁のアメリカ人が弁慶を、トランスジェンダーの女優が義経を演じたのが、木ノ下歌舞伎の「勧進帳」だ。といっても、古典歌舞伎を無視したものではない。木ノ下裕一はとことんまで古典を研究し、現代劇へと置き換えていく。確かな学識に裏打ちされた作品は、歌舞伎役者からも一目置かれ、今やひっぱりだこの存在。木ノ下から目が離せない。
鎌倉幕府将軍である兄・源頼朝に謀反の疑いをかけられ奥州へ落ち延びようとしていた義経たちを、頼朝の命を受けた関守の富樫左衛門が、加賀の安宅(あたか)の関で待ち構えていた。
義経は荷物を担ぐ従者である強力(ごうりき)の姿に、従者の武蔵坊弁慶たちは山伏の一行に化けて関所を通過しようとするが、富樫に呼び止められる。自分たちは焼失した東大寺再建のための勧進をしている一行だと嘘をつき、かわそうとするが、それなら勧進帳を所持しているはずだと富樫に詰め寄られた。弁慶はとっさに別の巻物を本物とみせかけて勧進帳の文言を恭しく暗唱してみせ、関所通過の許しをもらうも、強力が義経だと見破られた。弁慶は主君義経をあくまでも強力として扱い、金剛杖で打ち据える。それを見た富樫は、義経と知りつつも弁慶たちを通してやるのだった。
歌舞伎十八番のひとつ「勧進帳」である。歌舞伎をよく知らない人でも、この人気演目名だけは聞いたことがあるに違いない。主君の命を救うためにめった打ちにまでしてみせた弁慶の張り裂けそうな重苦とその誠忠、それに心打たれた富樫が自らも死罪覚悟で一行の通過を許すというふたりの男の情の交錯がなんといっても見どころだ。緊迫のやり取りの中に、不運の義経に殉じて弁慶も富樫もみな死んでいく歴史の非情が胸に迫ってくる。名曲で知られる長唄に陶然としながら、何度観ても私は涙ぐんできた。
この江戸・天保から続く人気の“関所越えの忠義物語”をまったく新しい視点と解釈で現代劇として見せたのが、「木ノ下(きのした)歌舞伎 勧進帳」だ。昨年3月、KAAT神奈川芸術劇場で再々上演された「勧進帳」で私は今度は膝を震わすことになった。そうか、こういう物語でもあったのかと。
●ジーンズをはいた音楽劇「心中天の網島」
木ノ下歌舞伎は、13年前、木ノ下裕一(ゆういち)(33)が京都造形芸術大学在学中に「古典歌舞伎の現代化」を目指す劇団として旗揚げした。「黒塚」「東海道四谷怪談―通し上演―」「三人吉三」「心中天の網島」「義経千本桜―渡海屋・大物浦―」などを上演してきたが、これまであった「歌舞伎を取り入れた現代劇」とはまったく異なるものだ。近松門左衛門の「心中天の網島」は、ジーンズをはいたダメ男の主人公・紙屋治兵衛が世間にのみ込まれながら愛を貫く音楽劇となり、おどろおどろしい復讐劇として知られる「東海道四谷怪談―通し上演―」は6時間にわたる群像劇となった。2016年上演の「勧進帳」で、文化庁芸術祭新人賞を受賞。通称“キノカブ”で知られるようになった。
木ノ下歌舞伎の「勧進帳」は関所だけではなく「あらゆる境界線を超えていく」物語として読み替えられていた。細長い舞台を挟んで観客も左右に分けられた。弁慶は異物そのもののような存在感の関西弁を話すアメリカ人の偉丈夫が演じ、義経は元男性のトランスジェンダーの女優が透き通るようなたたずまいの演技をみせた。痩身の富樫は奇異なおかっぱヘアをゆらしながら不気味なほどの孤独感を漂わせている。全員が黒ずくめの服に身を包み、台詞は現代口語。対立する弁慶と富樫の家来たちを同じ役者で演じさせ、その対立関係の境界まで崩していく。三味線や鼓は家来たちが口で代替しラップで謳いあげる。忠義のもとに命を賭して深い愛情で結ばれている義経一行に比べ、富樫が家来と形式的な上下関係でしか結ばれていない孤独がクローズアップされていく。