「人物は登場していない時こそ大事なんです。歌舞伎ではひとりの人物が次の場面に登場してくるのが1年後なんてざらにある。でもこの1年間どこで何をしていて何が起きていたのか。ここを想像して埋めていき、この人物が何を大事にして生きているのかなどのモチベーションまで書き込まないと」
木ノ下歌舞伎を支えるのはこの「補綴」作業と「完コピ」である。完コピとは上演台本での稽古に入る前に出演者が2週間ほどかけて覚え込む歌舞伎の完全コピーである。上演台本が現代口語であっても、出演者は歌舞伎役者のビデオを観て台詞と手足などの身体の動きまで丸憶えで真似て、一度体に叩き込む必修の稽古メソッドだ。
「そこは歌舞伎らしく演じて、といっても今はまったく通じないですから。でもこれをやると稽古の後半には、物語の何が歌舞伎と違うのかがわかってくるんですよ」
歌舞伎研究で知られる演劇博物館副館長で早稲田大学教授の児玉竜一は木ノ下を評価する。
「古典に精通した現代演劇人は少なくなってきていますし、古典芸能の世界を現代につなぐ仕事は誰かがやらなくてはならない。歌舞伎座でさえ、口ずさめるように演目の内容や役者の芸がわかるなんてお客さんがいなくなりつつあるんですから。勧進帳が現代演劇になるとは誰も思っていなかったはず。歌舞伎を知らない人が彼を通して歌舞伎の多くの物語を知っていくことになるでしょう」
若き“古典芸能スーパーオタク”誕生までの道はまるで芝居みたいに面白い。
和歌山市で社会科教師の父と環境保護運動などに熱心な母との間に生まれた一人っ子は、型にはまる教育を徹底して排除されて育った。お絵描きで「空を青く、お花を赤く塗りましょう」と先生が指導したとたんに転園。都合3回も保育園を変えられる。小学校はサマーヒル教育を目指す寄宿学校に入れられるが、学校側の体制トラブルなどで地元公立小学校2年へ編入。「みんなと横並びにならないこと、みんなと違うこと」が鉄則の木ノ下家では学校指定の教材も買ってもらえない。学校指定のクレヨンに「なんで12色しかないんだ、本物を使え」と父親が画材店で買い込んだ大人が使う画材一式が木ノ下に渡された。
●風呂敷包み姿で登校、小学生で人気落語家に
教育は徹底していた。人が持っているからの理由では何も与えてもらえない。代わりに本はいくらでも読んでいいし買ってもらえた。「好きなものには妥協するな」と言われ続けたのだ。
古典芸能との出合いは小学3年だった。町内の敬老会にひとりでふらりと立ち寄り、上方落語家による「蛇含草(じゃがんそう)」を聴いた。生まれて初めて観た落語だ。落語にはまっていき知ったのが、上方落語の人間国宝桂米朝の存在。大ファンとなり米朝全集を読んで驚いた。
「あとがきに、この噺は自分がこう復活させたとか、オチが本当は違っていて自分がこう練り上げたとか書いてある。古典そのままだと思っていた米朝の噺がほとんど補綴されたものだったことがすごいショックでした。確かによく聴いてみると古典なのに現代的な感じがする。補綴という仕事があるんだと知ったんです」
一気に毎日が落語漬けとなった。深夜のラジオの音源を収録し、2カ月に1枚落語CDを買ってもらう。買ってもらうために、親になぜそれがほしいのかの理由を口頭かリポートに書くルールはこの時からだ。とことん聴いたら演じたくなる。3年生にして高座名「おみくじ亭大吉」となった木ノ下は学校の人気者となった。