木ノ下歌舞伎作品を追うように観てきた若手女形の歌舞伎役者、坂東新悟(28)も「木ノ下歌舞伎が、なぜそうなのかを作品として突き詰めるので、古典に対して“気づいていける”ようになりました。勘三郎のおじさまが生きておられたら間違いなく木ノ下歌舞伎は面白いとおっしゃると思います」。

 木ノ下の夢は「国立劇場の芸術監督になること」と「古典芸能の“学校”を作ること」だ。とりあえず学校の夢は第1弾として昨年“本気のカルチャーセンター”「キノカブの学校ごっこ」で実現した。6日間で1340分の古典芸能全般にわたる集中講義に人が詰めかけた。

「木ノ下歌舞伎は古典と出合ってもらうゆるやかな運動体です。演出家も俳優もお客も劇場も古典と出合って交流していってほしい。今ならどう読めるのかと常に考えていかないと、古典は腐っていきます」

 歌舞伎座の客席で、仁左衛門や吉右衛門にしびれながらまったく何も考えずに観ていた自分が急に恥ずかしくなったではないか。

 (文中敬称略)

■木ノ下裕一
1985年/和歌山市で中学の社会科教師の父親と環境問題などに熱心な母親との間に生まれる。「個性を伸ばす教育」のために3回も保育園を変えられる。
93年/サマーヒル教育の「きのくに子どもの村学園」の寄宿学校から2年生で和歌山市立木本小学校へ編入。ファミコンやゲームはなく本だけは潤沢に与えられる。小3で落語に出合い、桂米朝に心酔。米朝の落語が「補綴」でできていることを知る。落語の口演で学校や地元の人気者となるが、落語を通して古典芸能の存在と魅力を知り「中学で歌舞伎を、高校で文楽を、大学で能・狂言を勉強する」と将来設計をたてる。
98年/和歌山市立河西中学校へ進学。生の歌舞伎は1回しか鑑賞できず、祖父母に頼んで有料の「伝統文化放送」(後の「歌舞伎チャンネル」)の導入を頼み、繰り返し見続ける。歌舞伎のドラマ構造に魅了され、図書館などで関係書物を片端から読破。美術部と図書部へ入部し、「民藝」や「泉鏡花」を巡る一人旅も始める。
2001年/日本画を専攻するため和歌山県立和歌山高校の総合学科に進学。文楽に「噛み応えのある奥深い水脈を見つけた」と高校時代は義太夫と人形浄瑠璃の虜となる。
04年/個人プレーの絵画が性に合わないことを知り、当時の三代目市川猿之助が副学長を務めていた京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科に進学。
06年/大学3年で、古典演目上演の補綴・監修を木ノ下が行う木ノ下歌舞伎を、杉原邦生演出の「yotsuya-kaidan」で旗揚げ。以降、13年間に「三番叟/娘道成寺」「俊寛」「東海道四谷怪談ー通し上演ー」など多くの歌舞伎演目の現代劇化を続ける。
10年/修士号を取得。
15年/舞台領域では日本初の研究と創作の両面での博士号取得者となる。
17年/「勧進帳」で平成28年度文化庁芸術祭新人賞を受賞。
18年/多摩美術大学などで非常勤講師。
19年/京都・南座での神田松之丞独演会で、講談「怪談 乳房榎」の補綴。

■守田梢路(こみ)
本欄では、講談師・神田山陽、神田松之丞、落語家・春風亭一之輔などを執筆。歌舞伎、文楽、能、落語、講談、浪曲など古典芸能を中心に、インタビューやルポ、エッセーを執筆。寄席のプロデュースも行う。

※AERA 2019年5月27日号

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