ところが、三男は、こわばっていた表情がすっかり解けて、「そうか、伸びてなかったかー」などと嬉しそうに言いながら、笑顔でさっさと降りて行きます。全然、残念そうではないんです。「現実は現実」と受け入れている。拍子抜けするほどです。
その日の夜、夕食のとき、彼は兄たちに自慢し始めたのです。「今日なぁ、スライダープール、はじめてやったで。すごかったわぁ」。みんなから、「へえ、滑るの怖くなかった?」と聞かれると、「いや、オレは身長が120センチなかったから、滑るのはあかんかってん」と、そこも自慢そうでした。
大人からすると、せっかく暑い中、長い時間並んだのだから、滑らせてやりたいと思いますよね。滑らなかったらなんにもならない、と。でも、子どもにしてみたら、並ぼうと決意し、だんだん階段を上っていくことそのものがスリル満点の体験だったのだなと、彼が家で話しているのを聞いていて気がつきました。
身長測定の場面などクライマックスで、身長が届かず滑らせてもらえなかったことは、彼にとってはハッピーエンドだったとさえ言えるのかもしれません。もう、十分に満喫した。
親は「結果」に気持ちが集中してしまうけれど、子どもにとっての体験とは、もっと広がりのあるものなのだと思います。
「子どもが体験していることや、子どもに見えている世界はどんなものか」に目を向けることで、大人にとっては残念な出来事でも、実は子どもにはそうではないのだと気づくことがある。それを改めて意識させられた出来事でした。
田中茂樹(たなか・しげき)
1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。文学博士(心理学)。共働きで4児を育てる父親。京都大学医学部卒業。信州大学医学部附属病院産婦人科での研修を経て、京都大学大学院文学研究科博士後期課程(心理学専攻)修了。2010年3月まで仁愛大学人間学部心理学科教授、同大学附属心理臨床センター主任。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。病院と大学の心理臨床センターで17年間、不登校や引きこもり、摂食障害やリストカットなど子どもの問題について親の相談を受け続けている。これまで約5000件の親の悩みを解決に導いてきた。著書に『子どもを信じること』(大隅書店)などがある。