結婚後も自身の病気や出産のリスクについて学び続けた。夫の転勤で移り住んだ香川県では、大学院に進学して特別支援教育を専攻。低出生体重児で生まれた赤ちゃんの障害のリスクを学び、自分と同じ骨形成不全症の女性たちへインタビューして論文も書いた。

 あらゆるリスクを想定して妊娠に臨んだが、母子ともに無事に生まれてくる保証はなかった。伊是名が第2子を出産した際の主治医で、現在は東京女子医科大学准教授の水主川純(43)によると、母体が小さいため、胎児の成長とともに胃や心臓、肺などが圧迫され、呼吸が苦しくなったり心臓への負担が高まったりするほか、出産予定日近くまでおなかで赤ちゃんを育てることが難しいため、赤ちゃんが低出生体重児で生まれやすい。赤ちゃんに病気が遺伝していれば胎内や出産時に骨折する危険性もある。

 水主川は、伊是名の妊娠についてこう振り返る。

「ハイリスクの妊娠でしたが、伊是名さんはいつも明るい顔をしていて、出産に前向きでした。『ちっちゃい頃は転ぶたびに骨折していたんです』などと笑ってなんでも話してくれて。コミュニケーションを取りやすかったことも、出産がうまくいった要因の一つだと思います」

 2回の妊娠は、予想を超えて順調に経過。どちらも予定日より1カ月あまり早い妊娠35週(9カ月)のときに2160グラムで生まれた。第2子出産では、最初の帝王切開時に子宮の上部を大きく切る特殊な手術法だったため、子宮破裂の危険も高かったが、無事乗り越えた。

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 病気が子どもに遺伝する確率は5割。それを理由に、親や親族から出産を大反対されたが、伊是名も夫も障害のある子を育てる心づもりはできていた。知り合いに病気が遺伝した子を育てている素敵なロールモデルがいたことも大きかったが、
「私自身、障害がなければよかったと思ったことがないですから」

 と伊是名。夫も遺伝のことは全く気にしていなかったという。

「一つの家に車いすの人が2人いるとどうなるのかなと考えていたぐらいですね」

 当時のフェイスブックには、夫の気持ちがこう綴られている。

<車椅子でも、発達障害でも、アレルギーがあっても、性的マイノリティーになったとしても、自分らしく生きてくれればいいし、そう生きられる環境を作ってあげたい>

 子ども2人には、病気は遺伝していなかった。

 日々の子育ての中で、伊是名には「できないこと」が多い。例えば5キロ以上のものを持つことができないので、愛する我が子も生後6カ月で抱っこできなくなった。素早くは動けないから動き回る子どものオムツ替えも難しい。そうした子育てを支えるのが、総勢10人のヘルパーだ。

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