「なっちゃん(伊是名)の頼み方は的確でわかりやすいから手伝いやすいですよ。それに、逆に私が苦手な部分は率先してやってくれるんです。今日だって、キャンプの企画を立てて、みんなのスケジュールを調整し、予約も担当してくれて。今日集まれたのもなっちゃんのおかげです」

 そこにあるのは、障害があるから支えてもらう、助けてもらう、という一方的な関係ではなく、「お互いさま」という双方向の関係だ。伊是名は言う。

「障害があってもできることはたくさんある。人はそれぞれ自分の力を発揮できるポジションがあると思っているんです」
 伊是名は1982年、沖縄県名護市の病院で生まれた。産声を上げた日、ほかの子と変わらぬその元気な泣き声に、父・進(74)は安心して自宅に帰った。ところが翌朝、進が出勤前に顔を見に立ち寄ると、赤ちゃんはまだ泣いていた。聞けば、一晩中泣き続けているという。

 レントゲンを撮ると、両足の骨が折れていた。頭の骨もほとんど作られていない。医師の見立ては「(命が)1週間もつかもたないか」。両手両足にギプスをつけられた娘の姿を見た進は、体の力が抜け、へなへなとその場に座り込んだ。

 絶望の中、両親は娘が4月生まれにもかかわらず、「夏子」という名をプレゼントした。太陽が降り注ぐ沖縄の夏のように、明るい子どもに育ってほしいと、精いっぱいの願いを込めた。

 医師の予想を覆し、生後1カ月を超えた。那覇市内の病院で診てもらったところ、全身の骨が弱く骨折や変形をしやすい「骨形成不全症」だと告げられ、命にかかわる病気ではないとわかった。

 痛みとともに始まった伊是名の人生。骨を強くするために注射を1日おきに打っていたが、抱っこされただけで、またあるときはオムツを替えようと足を上げただけで骨が折れてしまう。

「骨折や打撲は日常茶飯事で、常に体が痛いのが当たりまえでした」

 よく泣いていたが、6、7歳のある日、泣くのをやめようと決めた。

「だって、泣いたときにヒックヒックという振動が骨に響いて、余計に痛いってわかったから」

 両親とも学校の先生で共働き。だが骨折が心配で、幼稚園や保育園に通わせることができず、就学前は高校の英語教諭だった父が夜間高校への異動を願い出て、朝から夕方まで面倒を見ていた。「親として何を残してやれるか」と考えた父は娘に英語を教え込む。高松宮杯(現・高円宮杯)全日本中学校英語弁論大会で2位になってアメリカのサマーキャンプに招待された経験は、のちの海外留学への強い動機になった。

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