27系統の左眼下には小平市を源流とする石神井川が流れ、左奥は十条製紙王子社宅であった。1000型の背後に見える三角屋根が、1950年に王子製紙が設立した「製紙博物館」(1965年、「紙の博物館」に改称)の建物だ。1945年4月の王子地区大空襲で唯一焼け残った発電所を修理改装した館舎で、王子製紙の前身の抄紙(しょうし)会社当時からの貴重な文献・資料が展示保存されていた。その前庭には、北海道・苫小牧を起点とした王子製紙軽便鉄道で、1950年代初頭まで使用した4号蒸気機関車が展示されていた。
この蒸気機関車は1935年・橋本鉄工所製/軌間762mmのテンダ機関車だったが、炭水車は保存されていなかった。その後、皇族がご乗車された貴賓客車も展示に加わり、「王子の軽便列車」として鉄道ファンに親しまれていた。後年、紙の博物館は首都高速中央環状線王子線の建設で移転することとなり、1998年から飛鳥山公園内の新館に移転している。
件の軽便列車は、北海道の有志の働きかけで1996年に苫小牧への里帰りが実現した。現在はJR苫小牧駅に程近い「王子アカシア公園」で大切に保存展示されている。
■都電の踏切を渡ったところに旅館の玄関が?
写真の中央に「旅館」の大きな看板を掲げた木造の建物が目に入ってくる。前述の王子地区大空襲で王子駅前近隣の建物は焼尽しているが、奥に見える瓦屋根の母屋の造りは、戦後に再建されたものではなさそうだ。手前の物干し台には客に供する浴衣が干してあり、昭和のイメージが満喫できよう。
写真の右端の線路端から撮った別カットをご覧いただき、左隅の通行人の手前にある細い踏切に注目されたい。中央の木立の背後に存在した旅館は北側を石神井川、東側を製紙博物館に囲まれており、この踏切が旅館の玄関に導く唯一の通路であることと推察した。当該の旅館は王子駅南口の直近にあり、旅人は都電のか細い踏切を渡り、石神井川畔の旅館に投宿したのだろう。当時は「ビジネスホテル」という識別は無く、駅前の単なる商人宿であったのだろうが「都電の轍音が聞こえる昭和時代の宿に一度泊まってみたい!」という衝動に駆られたのは筆者だけであろうか。