■寿司屋の息子がラーメンを選んだ意外すぎる理由
13年に埼玉県比企郡川島町にオープンした「中華そば 四つ葉」。最寄りは川越駅だが、駅から6kmも離れていて、バスか車で行くしかないという、なかなかハードルの高いお店である。
この「四つ葉」店主の岩本和人さん(40)は、ちょっと変わった経歴の持ち主だ。実家は寿司屋で、父親も生粋の寿司職人。後を継ぐものかと思われたが、なんと岩本さんは生もの嫌い。寿司の世界に飛び込む姿を想像できなかった。
中学の頃にJリーグが開幕し、地元・浦和レッズのファンになる。高校を卒業後、全国の試合を見に行くようになるが、飲みに行くお金がないので食事はもっぱらラーメンだった。様々な土地でラーメンを食べる中で、ご当地ラーメンの多様性に惹かれていき、東京や埼玉の有名店でも食べ歩くようになる。デザインの専門学校に進学し、卒業後2年間はフリーター生活を続けた。仕事が決まらぬまま、海外に1カ月サッカー観戦に行った時、イタリアの電車の中でぼんやりとこう思った。
「ラーメン屋になろう」
23歳の時だった。寿司とは違う世界で、家業である飲食業は継がなければいけない。そう考える中で、好きだったラーメンにたどり着いた。
こうして、岩本さんはとある有名店に修行に出る。必死にラーメン作りを覚えながら、他店の食べ歩きも怠らず、ラーメンの味を舌に叩き込んでいく。そんな中、27歳の頃に食べた一杯に衝撃受ける。町田の「69’N’ROLL ONE」の鶏と水だけで作った醤油ラーメン「2号ラーメン」だ。
「香りからしてやられましたね。俺もこれをやりたい! と思って、休みのたびに通い詰めました」(岩本さん)
目指すラーメンは決まったが、そこからが長かった。なんと35歳まで修行することになるのだ。筆者も数多くのラーメン店主を取材しているが、初めから独立を考えているのに10年以上修行したという店主は多くない。なかなか自信を持てず、お店を辞める踏ん切りもつかなかったという。転機になったのは、結婚と子どもの誕生だった。これから家族を支えていく中で、年齢的にも自分のお店を持つ最後のチャンスだと思った。
「独立すれば安定は失う可能性があるのに、家族は静かに見守って応援してくれました。作りたいラーメンは明確になっていたので、あとはそこに向けて努力するのみでした」(岩本さん)
しかし問題もあった。