京都の老舗「本家 第一旭」のラーメン(700円)は著名人にファンも多い(筆者撮影)
京都の老舗「本家 第一旭」のラーメン(700円)は著名人にファンも多い(筆者撮影)
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 京都ラーメンと言われて、圧倒的に有名なのはやはり「天下一品」だろう。京都の一乗寺に総本店を構え、全国に239店舗を展開する一大グループで、店舗数では業界第7位につけている(2019年2月5日現在)。鶏と野菜のドロッとしたスープが特徴の「こってり」はファンが多く、テレビ朝日系「アメトーーク!」で「天下一品芸人」が放送されるまでの人気を誇る一大チェーンである。

【写真】72年前の「本家 第一旭」の貴重すぎる一枚!

「京都=薄味」といったイメージが先行するが、「京都ラーメン」はこってりしているのが特徴だ。ラーメン評論家の大崎裕史氏は著書『日本ラーメン秘史』(日本経済新聞出版社)の中で、首都圏にある“京都をイメージした”あっさり系の「京風ラーメン」とは違い、「京都ラーメン」は濃厚なラーメンだと定義づけている。

 そんな中、2018年12月7日、京都の老舗ラーメン店が72年の時を経て、東京に初進出した。その名も「本家 第一旭」。豚骨、豚バラ、豚肩ロースを炊いた豚の旨味たっぷりのスープに京都の濃いめの醤油ダレを合わせた中毒性の高いラーメンが人気で、本店は日本最大級のラーメン専門クチコミサイト「ラーメンデータベース」の京都エリアで第4位、旅行サイト「じゃらんnet」の京都のラーメンランキングでは第1位となっている。かたせ梨乃さん、千原せいじさん、市原隼人さんなど有名人にもファンが多いことでも知られている。

 いったいなぜこのタイミングでの東京進出になったのか。「本家 第一旭」と「京都ラーメン」の歴史を紐解くとその答えが見えてきた。

「本家 第一旭」外観(筆者撮影)
「本家 第一旭」外観(筆者撮影)

 新横浜ラーメン博物館によると、1938年に京都駅付近に一台の屋台が出現。中国浙江省出身の徐永俤氏がラーメンを売り始め、これが京都ラーメンの草分けとなった。その後、1944年には京都駅東の塩小路高倉に店舗を構え、「新福菜館」と名付けた。濃い口醤油のスープに薄切りのチャーシューをふんだんに乗せたラーメンは瞬く間に人気となった。

 この「新福菜館」に土地を貸していたのが、のちに「第一旭」の店主となる田口有司氏であった。田口氏は「新福菜館」を手伝いながら、ラーメンの作り方を覚えていたのである。

 1940年代の終わりには、京都駅の周りに闇市が広がっていた。そこを訪れる人や働く人向けの食堂を作りたいという思いから、1947年、田口氏は「新福菜館」の隣に「旭食堂」をオープンした。朝5時から営業し、戦後「ハイカラ」と言われていたカレーやハンバーグなどを提供。だが、そんな中で最も人気のあるメニューがラーメンだった。その後、1956年に屋号を「第一旭」に変更し、ラーメン専門店として歩むことを決意した。

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老舗にも”失敗”の過去