食材、調味料とも何で作られているかが把握できる、ちゃんとしたものは食べたいが、品数が多くなくてはいやだとか、豪勢でなくてはいやだというわけではないので、毎日食べるものに変化を求めてはいない。自分なりに納得して口に入れられるものを作って食べているだけなのだ。

 人の生活は、単身者だろうが家族だろうが、それぞれがひとつの国みたいなもので、その国の中で決まりごとがあり、国民が納得していればそれで問題ない。家事、食事を作るのは母親でなくてもかまわないし、食事を作るのが面倒くさいので、毎日、買ってきたお惣菜、コンビニ弁当、カップ麺、外食であっても、国民が納得していればそれでいい。他国の国民があれこれ文句をいう必要はないのである。ただ国王が満足していても、国民が納得していないのであれば、それは問題なのだ。

 私の知人が家庭料理に関するデータを集めたいと、子供の友だちや偶然に知り合った大学生から四十代までの男女二十人くらいに、

「父親、母親が作ってくれた料理で、思い出に残っているもの、おいしかったものは何ですか」

 と聞いたら、大半の人、特に若者が、

「特にない」

 と答えたという。彼女がびっくりして、

「特にないって、どういうこと?」

 とたずねたら、そのなかで父親が料理を作る家庭はなく、一緒に外食をした記憶はあるという人はいた。また母親が料理を作らなかったり、作ったとしてもいつもレトルトだったり、お金を渡されて食べたいものを勝手に食べていたので、記憶がないと答えたという。忙しいのはわかるが、子供がいるのにそんなに家で料理を作らない親が多いとは知らず、

「へええ」

 というしかなかった。

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