23歳で駒沢「せたが屋」の門を叩く。昼は「ひるがお」(塩ラーメン専門)、夜は「せたが屋」という二毛作スタイルで営業するお店で、当時はそれが革新的だった。「ひるがお」の塩ラーメンが好きだった関口さんは迷いなく、修業先をここに決めた。
面接では「3年で独立させてほしい」とはっきりと伝えていた。店主の前島司さんはそれを快諾し、独立前提でラーメン作りやお店作りを学ばせてもらえた。
「昼は塩、夜は白濁豚骨と魚介と別のラーメンを提供していたので、両方のスープを学べたのが非常に大きい」と関口さんは話す。
入って1年で、品川のフードテーマパーク「品達」にある「せたが屋 雲」(現在は「せたが屋」)の立ち上げで「ひるがお」の店長が異動になり、それに合わせて関口さんが店長に。その後2005年には「ひるがお 新宿御苑店」(現在は「さんしょの木」(閉店中))のオープニング店長になる。
塩ラーメンで独立しようと思っていた関口さん。「くじら軒」「中村屋」「支那そばや」など塩ラーメンの美味しいお店は数あるものの、なかなか塩をメインにしているお店はなかった。自分がお店をやるなら、塩ラーメンを盛り上げられるお店にしたい。そう考えていた。
どうしたら塩ラーメンを食べてもらえるのか。考えに考え抜いた末に出た答えは、「塩だけのお店にする」ということだった。
こうして2007年、26歳で独立を果たす。
常に「進化」し続けるという思いを込めて「町田汁場 しおらーめん進化」と名付けた。場所は高校の頃から住んでいた町田。地元をラーメンの街にしたいという思いからだった。
町田といっても、何と駅から15分も歩く不便な場所。しかも通りから少し入らないとお店が確認できない。そして暖簾も出ていない。ラーメン店をオープンするにはお世辞にもいい場所とはいえない立地だ。なぜこの地を選んだのか尋ねると、潔いほどロックな答えが返ってきた。
「駅から遠くても、そこで行列を作ったらカッコいいじゃないですか。わざわざ来てもらえるお店にしたかったんですよね」
しかし現実はそう甘くはなかった。知人も一度は来てくれたが、二度目につながらない。地元に根付くまでにもかなり時間がかかった。駅前であれば買い物ついでのお客も見込めるが、この場所では厳しかった。
「塩だけ」というこだわりに、「醤油ラーメンはないのか」と何度も聞かれた。ないならいいと帰ってしまうお客さんもいた。
何とか名前を売ろうと、「胡心房」「69’N’ROLL ONE」「一番いちばん」といった町田の名店とコラボイベントを仕掛け、少しずつ存在を浸透させていった。