「例えば、一人ではまだ食べられない小さなお子様と、お父さんお母さんの3人で来店して、取り分けでは悪いと3杯注文する。そうすると、ほとんどの店では3杯同時に出てきてしまうんです。先に子どもに食べさせるために、お父さんかお母さんのラーメンは手付かずで放置せざるを得ない。どちらかは伸びきったラーメンを食べることになってしまう。それはもう、食事じゃないですよ。ラーメン屋に限らず、僕はお客さんを見ない飲食店が本当に許せないんです」
飯田さんには「行列をさばく」という考えが一切ない。いくらお客さんが並んでいて大変だとしても、それぞれ一人ひとりを大事なお客さんとして扱うのだ。
「今のラーメン屋は、やれ旨味がどうした、食材がどうしたといったことばかりにスポットが当てられます。でも、僕はこうしたところから変わらなきゃいけないと思います。お子さんを一人のお客様として見られないようでは、ラーメン業界に未来はありません。お子さんにも誠心誠意やらないと」
いくら遠くてもまた飯田商店に来たいと思わせてくれる理由はラーメン以外にもあるのだ。
もちろん、ラーメンへのこだわりも十分すぎるほど尽くされている。仕込みからタレ、麺、スープ、盛り付けといった工程すべてを飯田さんが一人で行う。味へのこだわりもあるが、お客さん一人ひとりと徹底的に向き合う姿勢がここかしこに表れている。
そんな飯田さんが選ぶラーメンは、ロックを愛する若き店主が作る繊細な塩ラーメンだった。
■こだわったらとことん突き詰める店主が紡ぎ出す極上の塩ラーメン
2007年にオープンした「町田汁場 しおらーめん進化」は店主・関口信太郎さんが紡ぎ出す塩ラーメンが人気のお店だ。「TRYラーメン大賞」の塩部門でも1位に選ばれたお店で、塩ラーメンといえば「進化」の名前を挙げるラーメンファンも少なくない。
関口さんは高校からハードロックバンドのギタリストとして活動していた。音楽を生業にしたいとバンド活動に明け暮れていたのだ。
しかし、バンドだけでは食べていけず、18歳の頃からラーメン店でアルバイトを始める。もともとラーメンが好きだった関口さん。「香月」「恵比寿ラーメン」によく通い、「春木屋」「支那そばや」など名店の食べ歩きもしていた。筆者は関口さんと同い年だが、高校生が食べ歩くにはなかなか渋いラインナップ。私は当時もっとこってりしたものや味のハッキリしたラーメンを好んで食べていた。関口さんが当時から大人の味覚だったことがうかがえる。
ラーメン店の他にも焼肉屋や天ぷら屋などいろいろなアルバイトをしたが、ラーメンを作ることがとにかく楽しく、一番だと思っていた。バンド活動をしながら「音楽がダメだったら自分はラーメン屋になるんじゃないか」と何となく思っていたという。
そんな中、バンドが解散してしまう。22歳の頃だった。音楽の道が断たれ、本格的にラーメンの道に進むことを決意する。