サッカー日本代表の活躍に日本中が盛り上がったワールドカップ(W杯)カタール大会。その陰では、人権問題や環境問題を軽視し、商業主義に突き進む問題を抱えていた。経済思想家・斎藤幸平さんが解説する。2022年12月26日号の記事から。
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11月18日、ツイッターでW杯は「ボイコットだな。私は観(み)ませんし、(スポンサーの)アディダスもコカコーラも買いません」と宣言しました。理由は三つです。開催国のカタールで外国人労働者に対する人権侵害があること、同性愛が法律で禁止されていること、そして気候危機の問題意識からです。
カタールは人口約293万人の小さな国です。その国で、収容人数が最大10万人規模のスタジアムが新たに七つ建設されました。雨が降らない酷暑地で天然芝のグラウンドを維持し、有観客で試合をするためにいったいどれだけの資源が使われ、二酸化炭素が排出されたのでしょうか。また、完成までに数百人の労働者が亡くなったとされています。わずか1カ月の金儲(もう)けのために払われた犠牲としては、あまりに大きいでしょう。
日本-ドイツ戦の試合開始前、ドイツ選手が右手で口を覆うパフォーマンスをしました。多様性や差別撤廃を訴えるキャプテンマークの着用をFIFA(国際サッカー連盟)が認めなかったことに対する抗議です。あの瞬間だけは、カタールの抱える諸問題への関心が一時的に高まりましたが、試合後は「そんなことしているから負けるんだ」とバカにするような日本人サポーターのツイートが目につきました。リスペクトすべき行動が、揶揄(やゆ)する対象になってしまったことは、非常に残念です。
W杯が盛り上がるほどに、人権問題や環境保護といった重要な課題が不可視化され、商業主義に屈していく。米国の政治学者ジュールズ・ボイコフさんが指摘する「スポーツ・ウォッシング」です。それは日本で特に顕著だったように感じます。