講釈師というのは、鎌倉から室町の軍記である『太平記』などの過去の軍記物を読んでその講釈を聞かせてお金をとるという商売だ。馬場文耕もそうしていたのだが、やがてそうした過去のものを講釈することだけでは飽き足らなくなり、噂を元に、当時の将軍の家重(いえしげ)とその側近を揶揄する話をしだすようになる。家重は「淫」と「酒」に溺れる愚君、言葉が不自由なため、側用人の大岡出雲守が通訳をする、それで政道が乱れる、と。
やんやの歓声で得意になっていた文耕だったが、ある夜、お忍びで文耕の講釈を聞きたいという人物があらわれる。ある屋敷に通され、家重の噂話を面白おかしく話をしていたが、語り終えて襖(ふすま)があくと、そこにいたのは家重本人だった。
そこで、文耕は、家重は愚君ではなく、わざとそうした噂を広めていることを知る。家重は、息子の家治(いえはる)のために、自分をおとしめておいたほうがよかろう、とそうしていたのだった。
文耕は、そこで、創作や噂では到底なしえない、真実の物語の強さを知る。
そして、やがてある小藩の百姓の強訴がなぜとりあげられないかを、幕僚の腐敗の構図からつきとめることになり、それを講釈で語ったことで、死罪獄門となるのだ。
なぜ、昔の本を語っていればよかったものを、下々の噂ごときを語るのだと取り調べで聞かれたとき文耕は「今の世の真(まこと)は古(いにしえ)の書本の中にはございません」と答え、ではどこにあるのかと聞かれると「……巷(ちまた)に」と答える。
〈──そうだ、真は巷にあるのだ。町にあり、村にある。自分はそこにある真に遇(あ)い、それを拾い上げ、語っていたのだ〉
これは沢木自身の感慨でもあったのだろう。
江戸川の「屑の世界」という巷、あるいは元売春婦の更生施設という巷(「棄てられた女たちのユートピア」)、あるいは老婆の詐欺師に騙されてしまう街の人々という巷(「鏡の調書」)、20代の最初から沢木さんは、真は巷にある、と歩いてきたのだった。
河村は、〈取材対象を素材としてではなく、一人の人間として尊重しながら描いている〉と沢木さんの初期の作品を評していたが、50年後の今も、最前線で書き続ける沢木さんの作品が心をうつのは、そこが変わっていないからだろう。
※AERA 2025年8月11日-8月18日合併号
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