オールスターファン投票ではかつて“川崎祭”もあったが…
オールスターファン投票ではかつて“川崎祭”もあったが…
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「マイナビオールスターゲーム2025」ファン投票中間発表(6月23日最終発表)で、ノミネート外の中日移籍2年目・上林誠知が、外野手部門3位と健闘している。そして、過去にもノミネート外から夢を叶えた選手たちがいた。

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 オールスターファン投票にマークシート方式が導入されたのは、1990年から。マークシートには各球団からノミネートされた選手が記載されていたが、初年度にいきなりノミネート外からパ・リーグ遊撃手部門トップに躍り出たのが、近鉄・安達俊也だ。

 俊足堅守の内野手・安達は、前年に自己最多の88試合に出場したが、打率.205、1本塁打、9打点に終わり、レギュラーには定着できなかった。

 だが、90年は真喜志康永の故障もあって、開幕直後からショートを守り、前半戦だけで47試合に出場するなど、存在をアピール。オールスターファン投票でも、“スーパールーキー”野茂英雄をはじめ、近鉄勢が人気を集めるなか、ノミネート外だった安達も票を伸ばしていく。

 7月4日の中間発表の時点で、西武・田辺徳雄、オリックス・小川博文に次いで僅差の3位につけると、その後、官製はがきによる約5万票もの強力援護を得て、トップの17万5791票でプロ7年目の球宴初出場を実現。本人も「ホント夢みたい。信じられない…。オールスターは子供の頃からの夢だから本当にうれしい」と感激しきりだった。

 そして、7月25日の第2戦の8回、田中幸雄(日本ハム)の代打として球宴初打席に立った安達は、中田良弘(阪神)から中前安打を放ち、1イニング5得点のビッグイニングに貢献。球宴生涯打率10割をマークした。

 インターネットを悪用した大量投票による“川崎祭”が起きたのが、2003年だった。

 ヤクルト時代に巨人キラーとしてならした川崎憲次郎は、中日にFA移籍1年目の01年のオープン戦で右肩を痛めて以来、2年以上も1軍登板がなかった。

 3年目の03年も開幕から2軍暮らが続いていたが、4月25日、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の野球板に「川崎憲次郎をオールスターファン投票1位にしよう」という愉快犯的なスレが立ったことがきっかけで、“祭”が幕を開ける。

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