5月20日の中間発表で、川崎は14万0549票を獲得し、投手部門の3位に入る。これに対し、コミッショナー事務局は「良識ある投票をお願いしたい」と呼びかけたが、騒ぎはますます拡大し、6月17日には井川慶(阪神)を抜いてトップに。7月3日の最終発表でも91万1328票に達し、トップが確定した。このうち、全体の70パーセントにあたる63万7844票がインターネット、9万5774票が携帯電話からの投票だった。
“晒し上げ”に困惑した川崎は「多少のケガを押してプレーしている選手に申し訳ない気持ちで一杯。今の状況では出場することはできません」と出場辞退を申し出、特例として2位・井川が繰り上げ当選した。この事件がきっかけで、翌年からネット投票に会員登録制で1人1日5回まで(08年から1人1日1回)という制限が設けられた。
開幕時は育成選手だったにもかかわらず、中間発表でセ・リーグ捕手部門トップに大躍進したのが、16年の阪神・原口文仁だ。
10年にドラフト6位で入団した原口は、12年に椎間板性の腰痛で戦線離脱、オフに育成選手に格下げされた。3年連続で育成契約を更新したあと、16年4月27日に支配下復帰。同日の巨人戦で代打として7年目のプロデビューを飾ると、8回の2打席目にプロ初安打を放ち、育成→支配下→1軍→初安打の“4階級特進”を果たした。
その後も5月19日の中日戦で自身初のサヨナラ打を放つなど、5本塁打17打点の活躍で、5月のセ・リーグ月間MVPを受賞。オールスターファン投票でも、6月6日の中間発表で中村悠平(ヤクルト)を抜いて、セ・リーグ捕手部門のトップに躍り出た。
最終的に中村に9万5397票差の17万4556票の2位で落選したが、どん底から這い上がった苦労人は「僕の場合はマークシートに名前がなくて、すごく手間もかかるのに。こんなたくさん入れていただいてうれしいです」とファンに心から感謝した。