平和祈念公園(沖縄県糸満市)の「平和の礎」には、沖縄戦戦没者の名前が刻まれている。「慰霊の日」は、遺族らが亡き人たちに祈りを捧げる。写真は、昨年の慰霊の日
平和祈念公園(沖縄県糸満市)の「平和の礎」には、沖縄戦戦没者の名前が刻まれている。「慰霊の日」は、遺族らが亡き人たちに祈りを捧げる。写真は、昨年の慰霊の日
この記事の写真をすべて見る

 沖縄戦から80年。壮絶な記憶が風化しつつある今、記憶を未来へ繋ぐ活動をしている若者たちがいる。体験なき世代が平和の意味を問い直し、伝え続ける姿を追った。AERA 2025年6月30日号より。

【写真】壕から出てくる住民を見つけた米兵。沖縄戦では民間人を巻き込む地上戦があった

*  *  *

 戦争の記憶を胸に刻み、平和の大切さに思いをはせる。6月23日、沖縄は「慰霊の日」を迎える。

 今から80年前の1945年のこの日、沖縄戦における日本軍の組織的な戦闘が終結したとされる。米軍が「ありったけの地獄を集めた」と呼んだ地上戦は約3カ月にわたり、民間人を巻き込み、日米あわせて20万人以上が命を落とした。

 この壮絶な地上戦を体験した人々は高齢となり、証言を聞く機会は年々少なくなっている。そうした中、沖縄戦を知らない若い世代が、記憶を受け継ごうと声を上げている。

 狩俣日姫(かりまたにつき)さん(27)は、その一人。

「私は沖縄戦の体験者ではありません。だからこそ、『二度と戦争を繰り返さない』という体験者の方から受け取った言葉を、ただ伝えるのではなく、参加者と一緒に考えることが大切だと思っています」

 沖縄本島中南部、米軍普天間飛行場がある宜野湾市の出身。だが、子どもの頃は、「平和学習が苦手だった」と振り返る。毎年、「慰霊の日」のある6月は学校で沖縄戦について学び、体験者の話を聞いた。だが予備知識がないため、どこからどこまで逃げたという地名を聞いても、位置や距離感がよくわからない。「学徒隊」や「艦砲射撃」といった用語も理解できなかった。話も「目の前で人が亡くなった」という悲惨な内容で、貴重で大切と思う半面、グロテスクな印象でしかなかった。

 転機は、高校卒業後の1年間のオーストラリア留学だった。滞在中、友人から「沖縄の人たちは米軍基地がなくなったら生活できなくなるんでしょ?」などと聞かれても、うまく答えられなかった。沖縄のことを何も知らないと痛感した。

学んで終わりではなく沖縄戦を自分ごとに

 帰国後、沖縄の歴史や文化をもっと学びたいと思い、修学旅行生向けに学習コンテンツを提供する教育系ベンチャー企業でインターンとして働き始めた。その中で平和について考える機会が増え、「凄惨な歴史を繰り返してはいけない」という思いを強く抱くように。それには、若い世代がその記憶を受け継ぎ、語り継いでいくことが大切だという思いを強めていった。

「過去に犯した過ちや負の歴史を無かったことにせず、見つめ直す姿勢こそ歴史を学ぶ意義だと思います」

次のページ 体験者の言葉には人を動かす力がある