クリエイターなどを育成する専門スクール「バンタン」の入学式で若者たちにエールを送る。実体験からくる魂のこもったスピーチに会場中が聞き入っていた(写真/東川哲也)

 通学路で偶然目にしたセレクトショップ「ランチ・ア・ロケット」。ヴィヴィアン・ウエストウッドなどのブランド服を揃え、DJブースもある大人のたまり場に、勇気を出して足を踏み入れたのだ。店に集まる人々からR&Bなど最新の音楽を教わった。「魔法にかかったような時代だった」と振り返る。次第に「自分も歌を歌いたい」という思いが芽生える。高校1年のとき、アルバイトで貯めたお金でニューヨークへと飛んだ。

 友人の家に間借りしてゴスペルを習いに教会へ行ったり、配達のアルバイトを手伝ったり。とにかく刺激的で楽しかった。3カ月ほど観光ビザで滞在し、その後も数回渡米したが、現実的に向こうで仕事を探すのは難しい。「東京で歌手を目指そう」と決めた。

 東京・新大久保のアパートに暮らし、アルバイトをしつつ歌のオーディションを受けまくった。が、受からない。「岡山に帰んなきゃいけないのかな」とバイト先でこっそり泣く日々。1年後、見かねたボイストレーニングの先生が元イエローキャブの社長・野田義治(79)を紹介してくれた。そこから運命が動き出す。

 野田は90年代から細川ふみえ、雛形あきこ、山田まりやなどグラビアタレントを多く手がけてきた。赤坂の喫茶店にやってきたMEGUMIを見て、「最初はね、大丈夫かなと思ったんですよ」と振り返る。自分の体形を隠すようなたっぷりした服にボーイッシュなショートカット。

「たまたま持っていた雑誌の『おっぱい特集』を見せて『お前どれ? このへん?』って聞いたら『いや、これより形いいです』って(笑)」

 MEGUMIにとって豊かなバストはずっとコンプレックスだった。岡山時代もさらしをギュッと巻いて押さえていた。とにかく服が似合わない。男性が寄せる目線にもすぐに気づいてしまう。痴漢にも遭いやすく、自転車からすれ違いざまに触られたときは怖くて声も出せなかった。

「でもそれを野田さんは肯定してくれたんですよね。歌手になりたいなら、まずグラビアで出ろ。お前はその体形を活かすしかないだろう!って。そうか、いいんだこれで!と初めて思えた」

(文中敬称略)(文・中村千晶)

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