映画「FUJIKO」の撮影現場ではプロデューサーとして俳優やスタッフに気さくに語りかけ、周囲に目配りをする。「すごい上手だったよ!」と褒められた子役の少女は嬉しそうにスキップしていた(写真/東川哲也)

歌を学ぶためNYへ 歌手を目指して上京

 いったいMEGUMIとは何者なのだろうか。そう問えば、本人もうなずいて答える。

「SNSとかでも『なんでお前が?』って、よく言われますよ。『こいつなんでもいっちょかみだな』とか。わかります。いろんなことやっているから。そういうときは自問自答するんです。エゴでやっていたら叩かれてもしょうがない。でもこれホントに社会や映画界や女性のためになってるよね? やっていいやつよね?と。でイエス、と答えが出たら何を言われてもいいや!って」

 気っぷの良さと強い意志。類い希なる行動力。そのエネルギーの源はどこにあるのだろう?

 MEGUMIは1981年、島根県松江市に生まれた。母は若く、物心ついたときから母一人子一人の暮らしだった。父の記憶はなく、不在を寂しいと思ったこともない。島根に暮らす母方の祖母は海女で、MEGUMIは縁側に座りながら祖母が海でとってきた魚や貝を庭の蛇口で洗っている風景を憶えている。

「幼少時代から不思議な『女の人の強さ』みたいなものを見てきた感覚はありますね」

映画「劇場版 それでも俺は、妻としたい」の完成披露上映会で監督の足立紳、共演の風間俊介と。「MEGUMIさんには自分をさらけだすような正直さがある。それがお芝居にも出るんでしょうね」(足立)(写真/東川哲也)

 幼稚園時代に岡山県倉敷市へ引っ越した。すぐそばに美観地区があり、日本の古き良き文化に自然となじんで育った。早くから自立心と好奇心が旺盛で「何かしら動いていないと気持ちが悪い」という気質はいまも変わっていない。

 中学にあがるといわゆる「ヤンキー」の仲間入りをする。「仲間は絶対」「女子どもは守れ」という筋の通った縦社会で、ハッキリ物を言う感覚が性に合っていた。母が仕事から帰るまで、古い市営団地の一角にあるMEGUMIの部屋は常にたまり場になっていた。

「人を呼ぶということはオーガナイザーなんですよね。お菓子を用意したり、ゲームやエンタメの要素を入れたり。人を巻き込んで何かをやる、というところもいまと変わっていないと思います」

 そして中3のある日、運命的な出会いをする。

次のページ 歌手になりたいなら、まずグラビアで出ろ