スポーツライターの元永知宏さん
スポーツライターの元永知宏さん
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6月3日――その背番号「3」と同じ日に、長嶋茂雄さんが、天国に旅立った。89歳だった。立教大学野球部の後輩でスポーツライターの元永知宏さんは、長嶋さんの現役時代に焦点を当て、関係者への取材を重ねてきた。身近な人たちの証言から浮かび上がった長嶋さんの“本質”とは何だったのか。

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――元永さんは長嶋さんの現役時代のプレーぶりに絞って取材を続けてこられました。

 長嶋さんといえば、そのユニークな言動や感性が注目されがちですが、私は、それは本質ではないと思ってきました。おもしろおかしく語られる“伝説”ではなく、もっと注目すべきことがあるんじゃないかと。現役時代の映像も古くて限られており、実像が十分に伝わってきません。 

 だから「長嶋茂雄という選手の本当のすごさは何だったのか?」「何が他の選手と決定的に違ったのか?」に焦点を当てて取材を始めました。

――週刊プレNEWSの連載「長嶋茂雄は何がすごかったのか?」では、長嶋さんより2歳上の土井淳さん(元大洋ホエールズ)、佐々木信也さん(元高橋ユニオンズ)、巨人時代の教え子である中畑清さんなど13人の証言を集めています。 

 みなさんに共通するのは、本当に楽しそうに長嶋さんとの思い出やエピソードをお話しになること。50年、60年も前のことでも事細かく記憶されていることに驚きました。それだけ、長嶋さんの行動にインパクトがあったということでしょうね。

 特に印象に残っているのは、昭和の名捕手のひとり、大矢明彦さんがヤクルトスワローズの新人だったころの話です。後楽園球場で行われたヤクルト対巨人の試合中のこと。キャッチャーの大矢さんは長嶋さんの言葉に驚いたそうです。バッターボックスに入ってきた長嶋さんは、ベース板をバットの先でこんこんと叩きながら、「大矢、ヤクルトを阪神みたいなチームにしちゃだめだぞ」と言ったのです。

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