現役時代の長嶋茂雄さん
現役時代の長嶋茂雄さん

キャッチャーとの間で交わされた「会話」

――バッターとキャッチャーの間でそんなやりとりがあるのですね。

 当時、試合中に他チームの選手と話すなんてことはご法度です。憧れの長嶋選手からそう声をかけられた大矢さんは最初、意味がわからなかったと言います。そのうちに、自分なりの解釈をしました。大矢さんはこう語っています。

「あの頃の阪神というチームは一人ひとりの個性が強すぎて選手が勝手に動いていてちょっとまとまりがなかった。きっと長嶋さんは『ヤクルトはこれからのチーム。みんなでまとまって一生懸命に試合をやれよ』と言いたかったんだと思う。『早く優勝を争うチームになれよ』というメッセージだと受け取りました」

 自分のチームの勝利や成績のためにプレーするのがプロですが、長嶋さんはリーグ全体、プロ野球の未来のことまで考えていたのだと思います。そこが、「ミスタープロ野球」と言われるゆえんでしょう。だから、いずれライバルチームの中心選手になるであろう若手に対してメッセージを送ったのだと思います。

――法政大時代に長嶋さんが持っていた東京六大学の通算本塁打記録を塗り替え、永遠のライバルである阪神タイガースの捕手だった田淵幸一さんも取材されました。田淵さんは、「長嶋さんは動く教科書だった」と言っていたそうですね。

 ある時、打席に立った長嶋さんの息づかいがものすごく荒いので、どうしてですか? と聞いたそうです。すると長嶋さんは「田淵君、ピッチャーが投げ始めた時に息を吸って、打つ瞬間に吐くんだよ」と教えてくれたというんです。こんなふうに、相手チームの四番バッターに打撃の極意を惜しみなく教えるところが、また長嶋さんらしい。

 田淵さんはその後、長嶋さんの呼吸法を真似して通算474本(長嶋さんは通算444本)のホームランを打ちました。「俺の技術を教えてほしいなら金を持ってこい」というベテラン選手もいたあの時代、長嶋さんは稀有な存在だったと思います。バッターとキャッチャーの間で交わされた会話によって成長した選手がたくさんいるというのは興味深いですね。

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