
知識を身につけるうち、自分でもそば打ちをやってみたくなる。和食屋でアルバイトをし、日本料理の基本や出汁の取り方を学びながら、いくつものそば店の門をたたいた。ただ、「そば打ちは難しい。外国人には無理」と断られ続けたという。やっと受け入れてくれたのが小田原の製粉会社。そこでそば粉の扱い方やそば打ちの基本を学び、逗子に店を開いたのは2002年のことだった。海も山もあり、故郷に似た景色があったことからこの場所を選んだという。

「店に入ってきた人が私の顔を見て、『間違えました』と出ていくことが何度もありました」
そう言って笑うが、チョウドリさんのそばの味はすぐに評判を呼んだ。3年後には横浜に2店舗目を開くまでになった。平日は横浜、休日は逗子で休みなく働いた。ただ、平日知人に店を任せた逗子の常連客からは「味が変わってしまった」という声を聞くようになる。そんななかで、2011年3月11日を迎えた。

「その日も横浜の店にいました。ちょうど逗子のお客さんが2人、わざわざ食べに来てくれていた。地震のあと、何とかタクシーを掴まえて彼らと帰ったんです。そのときに、あぁ、やっぱり逗子一本にしよう。この人たちが来やすい店にしようと思って、横浜の店は閉めることにしたんです」
以来、店舗の建て替えによる休業などをはさみながらも逗子で店を続けてきた。家族ぐるみで何年も通う常連客に支えられながら、チョウドリさんは今日もそばを打つ。
(編集部・川口穣)

※AERA 2025年6月2日号より抜粋
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