
「相思相愛」のはずの巨人が参戦せず
前人未到のトリプルスリーを3度獲得したヤクルトの山田哲人は、20年にFA権を取得してオフの去就が注目されたが、権利を行使せず、ヤクルトと新たに7年の大型契約を結んだ。この時の他球団の動きが興味深い。20年のシーズンでは、山田は上半身のコンディション不良が影響し、94試合出場で打率.254、12本塁打と不本意な成績に終わった。
「FA権取得前は『巨人と相思相愛』と報じられていました。でも、巨人は獲得レースに参戦しなかった。パフォーマンスを見て陰りを感じたのかもしれません。では、あっさりヤクルト残留に決まったかというとそうではない。20年まで4年連続日本一に輝いたソフトバンクが復活できると判断し、獲得に動きました。条件面ではソフトバンクの方が上でしたが、山田は悩んだ末に残留を決断しました」
山田は残留したヤクルトで21年からキャプテンを務め、21、22年のリーグ連覇をけん引した。近年の成績は精彩を欠いているが、今もV奪回のキーマンであることは間違いない。
中日から巨人に翻意した山口
DeNAから巨人にFA移籍した山口俊も、移籍先が土壇場で覆っている。DeNAでは抑え、先発で活躍し、16年オフにFA権を行使。残留交渉したDeNAのほか、巨人、中日が獲得に乗り出した。この時に熱心に動いたのが、低迷期に突入していた中日だった。かつて落合博満監督の時に投手王国で黄金時代を構築していたが、その後は先発のコマ不足で16年は最下位に低迷していた。
「条件面では中日が巨人を上回っていた。成績を残せばメジャー挑戦も容認するというやり取りが取り交わされ、山口も中日移籍で決意を固めたそうです。それが、当時巨人のGMだった堤辰佳氏に会ったら、必要とされているという熱意を感じて巨人移籍に翻意しました」(スポーツ紙遊軍記者)