
いろはさん(29、仮名)は、新興宗教にのめりこむ親の代わりにきょうだいを守っていた。だが、その心労に耐え兼ね、オーバードーズに走った。そんな耐え難い苦しみを味わったいろはさんも現在はNPO法人「BONDプロジェクト」のスタッフとして、若年女性の支援に取り組んでいる。
若者が直面する生きづらさを取材し続けてきた朝日新聞記者、川野由起さんの著書『オーバードーズ くるしい日々を生きのびて』(朝日新書)では、いろはさんを含む、支援者たちの切実な願いも紹介している。オーバードーズを経験した、いろはさんだからこそ伝えたいこととは? 本作から一部抜粋・再編集して掲載する(※年齢は取材時のものです)。
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虐待だったんだ
お金がないので、高校卒業後は就職した方がいいと思っていた。でも、そう主張したら、親はお盆を投げ、何度も蹴ってきて「絶対に保育の資格をとれ」と言って聞かなかった。自宅から通学することになるのもいやで、バイト先の先輩の家に思い切って家出をしたが、親が警察を呼んでしまい連れ戻された。根負けし、奨学金を借りながら数時間かけて短大に通うことになった。
市販薬のオーバードーズを始めたのは、短大でのある授業がきっかけだった。子どもが身近な大人に愛着を持って成長していく過程や、「食事を与えてもらえない」など「虐待」にあたる行為についての説明を授業で耳にした。自分の家がおかしいとは思っていなかったが、「自分が受けていたのは虐待なんだ」と初めて気づいた。
一気に「消えたい」「苦しい」という気持ちがわいてきた。しばらく止まっていたリストカットが始まり、過食嘔吐もさらにひどくなった。このまま実家にはいられない。奨学金を追加で借りて、大学の近くでひとり暮らしを始めた。2年生になったころだ。つらい気持ちなどをつぶやくアカウント「病み垢」をXで検索して、似たような気持ちで自傷行為をしている人のつぶやきを眺めた。
そこで知ったのが、市販のせき止め薬のオーバードーズでつらさをまぎらわす方法だ。リストカットを最初にやったころのように、初めはこわさが勝った。値段も高い。Xには、薬の種類や飲んだ量、時刻、どんな気分になったかなどを、詳細に記録し報告しているものがたくさんある。それを熟読し、昔実家にあって見覚えがあったせき止めシロップを、最初は1瓶の3分の1ほど飲んだ。「ふわふわできて、ちょっと現実と違う。脳がすごい快感だなって感じで、最初からマッチしちゃったなみたいな」
自分にとっては「高級品」で、最初は数カ月に1回だった。家に1本置いておくと安心できた。「至福なもの、快楽、ごほうびみたいな感じですね」。「今週金曜日はごほうび」など、自分の予定にオーバードーズの予定も組みこんでいた。苦しいときは、錠剤を1瓶まるごと飲んだり、何十錠かずつ追加しながら飲む「追い焚(だ)き」をしたりするようになった。