写真 右上から反時計回りで、写真映像部・東川哲也、佐藤創紀/高野楓菜、篠塚ようこ、大野洋介、加藤夏子
この記事の写真をすべて見る

 画家・作家・脚本家として活躍した大宮エリーさんが4月23日に病気のため亡くなった。49歳だった。AERAで2022年4月から2024年3月まで「大宮エリーの東大ふたり同窓会」を連載し、今年2月には連載をまとめた書籍を発売したばかりだった。遺作となった著作『大宮エリーの東大ふたり同窓会』の担当編集者が、エリーさんが遺した言葉や想いを振り返り、追悼文をつづる。

【写真】いつになくリラックスした笑顔の在りし日の大宮エリーさん

*  *  *

 エリーさんがもうこの世界にいない。才能と温かさにあふれたエリーさんにもう二度と会えない。亡くなられて4日経ってもその現実を受け入れられない。ご本人からは、まだまだやりたいことがたくさんあると聞いていたので、命を奪った病気が憎らしい。それでも、病気の苦しみと闘いながらも濃い人生を生き抜いたエリーさんに、ようやく安らかな時間が訪れたのだと思いたい。

「東大っていうのは私には不要だ」と

 AERAで連載「大宮エリーの東大ふたり同窓会」が始まったのは3年前のこと。理系女子として東京大学薬学部卒のエリーさんにAERAで記者がインタビューしたところ、その際の話がとても面白く、東大の同窓生との対談企画が持ち上がった。私は立ち上げから編集担当としてかかわった。

 ただ、エリーさん自身は、プロフィールに「東大出身」と書かれそうになるたびに、意固地になって消してもらっていた時期が長かったという。著書『大宮エリーの東大ふたり同窓会』の「まえがき」にも《東大っていうのは、私には不要だと思っていたのです。色眼鏡が嫌だったのです。自分に合わないし。固定観念や先入観なく、誰かと出会いたいな、自分を知ってほしいなというのがありました》と書いている。エリート然とすることもなく、どんな人にもいつも自然体で接する人だった。

 対談前には、別の記者が事前に準備したゲストのプロフィールや過去のインタビューなどにざっと目を通すものの、事前に質問を用意はせずに、ゲストの懐に飛び込んでいき、ゲストがまだ他では話したことがない話をどんどん引き出していく。対談はもちろんのこと、エリーさんが対談回を振り返るエッセイがまた印象深かった。

次のページ 体調が回復するまでの間休載に