ヤクルトで活躍したドゥエイン・ホージー
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 プロ野球開幕から1カ月。巨人の新外国人、トレイ・キャベッジが故障離脱こそしたものの、打率.309、3本塁打、8打点(4月24日現在)とまずまずの結果を出している。

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 助っ人の当たり外れはチームの浮沈にも大きく影響するが、ヤクルトのドミンゴ・サンタナ、ホセ・オスナのように来日1年目から毎年安定した成績を残している優良助っ人がもてはやされる一方で、1年目に大活躍しながら、2年目に大きく成績を落とした者もいる。

 来日1年目に本塁打王を獲得したのに、2年目はサッパリだったのが、ヤクルトの外野手、ドゥエイン・ホージーだ。

 1995年にメジャーデビューし、出場24試合で3本塁打、6盗塁を記録したホージーは、翌96年6月、スコット・クールボー、グレン・デービスの両助っ人を解雇した阪神に後釜候補としてリストアップされたが、膝の故障歴がネックとなり、獲得を見送られている。

 翌97年、今度はトーマス・オマリーが退団したヤクルトから声がかかり、入団が決まるが、打撃は振り遅ればかり。守備でも弱肩を露呈し、「5000万円の代走要員を獲ってしまったわ。誰や、こんな使い物にならん選手を獲ってきたんは」と野村克也監督(当時)をボヤかせた。球団もキャンプ中の解雇を本気で検討したほどだった。

 だが、真面目で研究熱心なホージーは、ミーティングで野村ID野球の吸収に努め、日本の野球に適応できるよう努力を惜しまなかった。

 その甲斐あって、開幕2戦目の巨人戦で来日初アーチを放つと、打率.289、38本塁打、100打点の好成績で、松井秀喜(巨人)を抑えて本塁打王を獲得。さらに西武との日本シリーズでも、第2戦の6回1死満塁、ボールが止めたバットのグリップエンドに当たって同点タイムリー内野安打になる珍プレーを演じるなど、不思議な存在感を示し、日本一に貢献した。

 しかし、対戦相手に研究された2年目は、「相手が研究しているのに、こっちは去年のまま。練習姿勢も去年とは変わってしまった」(若松勉打撃コーチ)と初心を忘れ、古傷の膝も悪化。打率.233、19本塁打に終わり、シーズン後に解雇となった。

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