
書評家・細谷正充さんは楠木正行だからこそ熱き物語になるのだと解説する。
魅力的なキャラクターたち、史実とフィクションの絶妙な塩梅、楠木正行の物語から轟く、作者の純粋なメッセージ。今村さんの巧みな筆致によって生み出された『人よ、花よ、(上・下)』の読みどころを細谷正充さんが綴った書評から紹介する。
理想を求めた楠木正行の熱き生涯
『人よ、花よ、(上・下)』 今村翔吾 著 朝日新聞出版より発売中
楠木正成は、鎌倉時代末期の武将である。第九十六代天皇で、後に南朝の初代天皇になった後醍醐帝に楠木党を率いて忠義を尽くしたため、死後は南朝の忠臣と多くの人が思うようになる。この正成を扱った歴史小説は幾つもあるが、本書の主人公は息子の正行だ。正行は、南朝方として挙兵するまでの人生に不明な点が多い。作者はそれを活用し、熱き物語を創り上げたのである。
湊川の戦いで足利尊氏たちに敗れた正成は自害を遂げた。しかし、それで楠木党がなくなったわけではない。二十一歳になる多聞丸(正行)は、河内国の国司と守護として、楠木党を率いている。父親のように南朝の忠臣であることを期待されることの多い正行だが、彼の考えは別にあった。というのも、父親との最後の別れとなったときに、不忠と罵られようと、臆病と笑われようと、「己の想うままに生きればよい」といわれてから、ずっと自らの望みを模索。そして北朝に降り、長く続いている南北朝の争いを終わらせようと考えたのだ。複雑で流動的な時代の中で、正行は困難な道を歩んでいく。
物語の設定を理解するためには、まず楠木正成の事績を知ることが必要である。この点について、作者に抜かりはない。まず正行と母親の久子との会話を通じて、時代の流れと、正成の果たした役割を、分かりやすく説明してくれるのだ。それにより、あまりこの時代の知識のない人でも、スルスルと小説の世界に入っていけるのである。
さらに母子の会話の中で、作者独自の創意が披露される。湊川の戦いで正成が討とうとしたのは尊氏ではなく、尊氏の弟の直義と、足利家家宰の高師直だということ。また、正成と正行の最後の別れは、『太平記』に記されたものとは、かなり変わっていること。フィクションの膨らみは大きく、だからこそ史実を知っていても、興味深く読むことができるのである。