そして皇統が二つに割れた南北朝時代になり、正行のドラマが本格的に始まる。楠木党のような勢力は〝悪党〟と呼ばれているが、他に大きな悪党として吉野衆があった。吉野衆の頭の青屋灰左は、何かと正行に突っかかってくる。この部分は青春小説のようだ。また、灰左を含む吉野衆が、金毘羅党と揉めて捕らわれたときは、正行たちが救出に赴く。自由自在に人物を動かし、英傑の息子というプレッシャーを感じながら、時に果断な行動に出る正行のキャラクターと、彼を信じる周囲の人々を、魅力的に表現しているのである。

 さらに、高師直が狙った、南朝の弁内侍の茅乃を助ける。これが縁となり、茅乃から南朝の帝が刺客に狙われていることを聞かされ、阻止すべく動く。虚と実を融合させたストーリーの渦中で繰り広げられる、正行の活躍が楽しいのだ。しだいに近づいていく、正行と茅乃の仲もストーリーの彩りになっている。匂わされていた茅乃の出生の秘密も、予想以上に複雑であり、尽きることなき作者の発想と、それを史実とすり合わせる筆力に感心してしまう。

 一方、本書最大の敵役である高師直も、単なる悪人となってはいない。平然と人の命を奪ったりする高師直だが、やがて自分の非道な行動にも覚悟を持っていることが明らかになるのだ。しかも実に優秀な人間である。主人公サイドだけではなく、悪人も魅力的なのは、面白い作品の証拠。ここも注目すべきポイントなのだ。

 無謀に思えた楠木党が北朝に降るという計画は、正行の奮闘により、実現の可能性が見えてきた。しかし南朝側のある人物の行動によって、楠木党は北朝に向けて兵を挙げざるを得なくなる。父親に勝るとも劣らない戦の才能を発揮する正行の姿は痛快だ。だが本書は歴史小説であり、史実が変わることはない。ああ、なんということだ。楠木党や吉野衆の最後の闘いと、正行の強い意志に、熱いものがこみ上げずにはいられない。

 ではなぜ正行は、最後まで戦いを止めようとはしなかったのか。南北朝の戦いを終わらせたいという正行の願いの根底にあるのは、誰かのために散ってよい命などないという想いだ。皆と一緒に生きたいという、単純で純粋な願いだ。そしてそれは、作者が一貫して書き続けているテーマでもある。

 現在、ロシアとウクライナの戦争は、まだ続いている。合衆国大統領になったトランプの言動は問題だらけであり、日米の関係も、どうなるのか分からない。もしかしたら、自分が生きているうちに、戦争に巻き込まれるのではないかと、半ば本気で思っている。そんな時代だからこそ、楠木正行の人生を通じて発せられた、作者のメッセージが胸に響く。今、読むべき歴史と人物が、ここにあるのだ。

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