直後、「槙原の速い球を狙っていた」というバースのバットが一閃し、快音を発した打球は起死回生の逆転3ランとなって、バックスクリーンに突き刺さった。

 次打者・掛布も、カウント1-1から槙原の高め直球を見逃さず、バックスクリーン左へ連続アーチをかける。

 そして、2度あることは3度あった。「前の2人が直球だから、変化球しかない」と読んだ5番・岡田も、0-1から槙原の高めスライダーをバックスクリーン中段に運ぶ。

 あっと驚くバックスクリーン3連発(正確に言うと、掛布はバックスクリーン弾ではないが)に、スタンドの虎党も目の前で起きた出来事をにわかに信じられず、一瞬シーンと静まったあと、一拍置いて「ワーッ!」と喜びを爆発させた。

 この3連発のイメージが強烈過ぎて、意外に忘れられがちだが、試合は最後の最後までもつれた。巨人も9回にクロマティ、原辰徳の3、4番の連続アーチでたちまち1点差。5番・中畑清もあわやクリーンアップの“3連発返し”という大飛球を放ったが、ファウルで救われた。打ち直しの中畑は左直に倒れ、2年目の若手右腕・中西清起が後続を断って6対5で逃げ切り。翌18日の3戦目も11対4で大勝し、巨人に3連勝した阪神は、4月を9勝3敗1分の好スタートで、大洋に1.5ゲーム差で首位に立った。

 その後、広島、巨人と三つ巴の争いとなった8月中旬に3位に後退するも、同27日に首位奪回をはたした阪神は、そのまま首位の座を守り、21年ぶりVを達成。日本シリーズでも西武を4勝2敗で下し、球団初の日本一を達成した。

 この結果、バックスクリーン3連発は、阪神に悲願の日本一をもたらした象徴的な出来事として長く語り継がれたばかりでなく、その後もチームの躍進と3連発が結びつけられる事例が相次いだ。

 2003年に星野仙一監督の指揮で18年ぶりVを達成したときも、5月9日の横浜戦で3回に濱中おさむ、片岡篤史、ジョージ・アリアスが放った“平成の3連発”が、“優勝への布石”としてクローズアップされた。

 さらに06年9月30日のファーム日本選手権で、喜田剛、桜井広大、藤原通の3者連続弾で3年ぶり4度目のファーム日本一になったことも、“3連発伝説”の1ページに加えられた。

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